自分は将来どうなるだろう……。そんな不安を持つ人は少なくないのではないだろうか。「いつまで第一線でいられるか」「いつまで他人と競えばいいのか」「いまいる友達は60歳になっても友達か」「親友がいないが大丈夫か」「気力体力はどうなるか」「お金は?」「いまのうちにやるべきことは?」など疑問がつきない。そこで本連載では、2025年に60歳を迎える奥田民生の10年ぶりの本『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』の中から、民生流の「心の持ち方、生きるヒント」を紹介する。「力まず自然体でカッコいい大人」代表の奥田民生は、これまでどのように考え、どのように働き、どのように周りとの関係を築いてきたのか。その言葉を見ていこう。(構成/ダイヤモンド社・石塚理恵子)
Photo by Takahiro Otsuji
人はなぜ生きるのか
この歳になると体力はもちろん、気力を維持するのもしんどくなる。
俺は無理せずそこそこで生きていければいいとは思っているけど、それでも生きるのがしんどくなったら、「生きる理由」を作ればいいと思っている。
「生きる理由」とは
人間が生きる理由なんて「次の日に用事があるから」だけでいいんじゃないか。
俺はそんなふうに思っている。
用事がなくなったら死ぬしかないっていうのも変な話になるけれど、でも生きる気力がなくなった人は用事がなくなった人かもしれないとも思っている。
だから俺たちは「もうなにもやることがない」「俺なんていなくてもいい」ってならないように、毎日せっせと用事を入れる。
大した用事じゃなくていい
用事なんてたいそうなものじゃなくていいと思う。
「明日は美容院を予約している」とか、そんなので(そんなのが)いいと思う。
誰だって「約束したのに、なにぶっちぎってるの! この人!」って思われるのはイヤだから、「予約したら行かないと怒られる」みたいな用事がちょうどいい。
これがたいそうな用事になってしまうと、「怒られるのがイヤ」を通り越して「行かなくてもいいか」「行きたくない」に変わってしまう。
だからこのくらいがベストになる。
人間なんてそんなもの
事実、人間なんてこんなことで日々を踏みとどまっている人は多いと思う。
「忘れてた! 明日行かなきゃ」って用事を思い出して、「面倒くさいけど行くか」になって。
生きるなんてそんなんで十分なんじゃないかと思う。
俺も明日は整体の予定を入れていて、まだ「このまま死なねぇぞ」と思っている。
(本稿は奥田民生『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』からの抜粋記事です。)