親の努力でどうにかできることがないわけではない。それはそうかもしれない。様々な制約の中で必死の工夫を重ねる保護者たちもいる。
ただやはり、子どもたち1人ひとりの姿を思い浮かべるなら、そしてかれらにはどうにもできない「体験」の格差のことを考えるなら、それが保護者の自己責任に帰すれば済む問題でないことは、明らかだと思える。
「楽しい思い出」は
人生のエネルギーになる
「文化的体験」の中で、旅行やお祭り以外の参加率はどうなっているだろうか。それをまとめたのがグラフ16だ。動物園や水族館、音楽鑑賞、あるいはスポーツ観戦などでも世帯年収による格差が生じている。
こうした「体験」の数々は、そして「体験」の欠落の数々は、1人ひとりの子どもたちが成長する過程の中で徐々に蓄積していく。
その1つひとつは些細なものに見えるかもしれない。美術館に行ったことがあるのかないのか。演劇を鑑賞したことがあるのかないのか。しかし、それはゆっくりと蓄積していくのだ。どこにも行くことのない休日も、遠出や旅行のない夏休みも。