書き手にも読み手にも
読解力が不足

 このように、日本語というのはもともと相手の気持ちを察する力を必要とする言語だったのが、スマホの浸透やSNSの登場によって、短く効率的なコミュニケーションが主流になったわけです。

 では、そうなった時にイエスかノーで自分の意思を端的に明確に伝えるようになったのかといえば、そんなことはありません。

 むしろ、相手に嫌われたくないから明確な物言いは避けたいという人はより増えているようです。詰問や追及に近いニュアンスが感じられるという理由から、LINEで句読点をつけることすら忌避されているほどです。

 嫌われるのが怖いのであれば、本来なら言葉を尽くして自分の気持ちや事情を丁寧に説明した方がいいのですが、相手からウザいと思われるのを恐れてそれもしていません。

 その結果、短い効率的な言葉のやり取りによって、ますます意図していない誤解や誤った情報の伝達が増えているというのが、現代のコミュニケーション不全の実態です。

 近年は、特に著名人の発言などでネットが炎上するケースが増えています。

 もっと言葉を尽くして真意を説明していたら誤解されることも少なく、世間の反応ももう少し変わっていたかもしれないと思えるような事例も多数あります。

 また、そういう著名人をネットで攻撃する人たちにも、書いてある内容を正確に読めずに勘違いしているケースや、一部を曲解して自分の都合のいいように理解しているケースも多々見られます。

 そして著名人を批判する際にも、「あなたの言っていることは、こういう理由で不適切だと思う」「この部分が間違っていると思うから、自分は納得できない」といった言い方ではなく、バカだの死ねだの、酷い罵声(ばせい)や人格攻撃を短い言葉で浴びせるだけなので、受け取る方も耐えられなくなってしまいます。

 基本的には他人への中傷や人格攻撃はするべきではないというモラルの問題もありますが、それ以前に書き手にも読み手にも読解力が不足していると感じるケースが少なくありません。