もちろん日本とアメリカでは人種構成などの事情が異なるため一概にどちらがいいと断言することはできませんが、アメリカ以外の先進国でも、一般的には論理的な文章や説明文を読み書きできるようになることが母国語教育の目的とされています。
しかし先ほどから触れているように、最近の日本でも基礎的な文章の内容をきちんと理解し、自分の考えを論理的な文章にするという、ごくまっとうな読み書き能力が不足している人が多くなっています。みんな「普通に」日本語を読めるはずという前提が崩れてきているということです。
ですから、心情読解などの能力を身につける以前に、日本でもまずは基本的な文法や読み書きなどを教えることが必要です。
読まない人が増えているからこそ、
言語の力を鍛えると有利
国語のみならず、あらゆる教科でも学力というのは読解力があるからこそ伸びていくものです。文章の理解が正確でなければ、内容を深く理解することはできません。言い換えれば、「読解力はないけれど、算数はできる」という状況はあり得ないということです。
そして、中高生が本や新聞を読まなくなったとはいえ、読書好きで月に10冊、20冊読んでいるような子もいます。あるいは難関校の入試に向けて長文読解のトレーニングを重ねている子もいます。彼らの読解力と、普段スマホだけを使っている子どもたちの日本語力には大きな差がつき、その差はどんどん開いていくはずです。
日本語の理解力の格差はその後も大きくなっていき、社会での競争力にも影響を及ぼすことになるでしょう。
これまでは大学までに学んだ知識と、社会に出てからの実務経験で対応してこられた人々も、新しい技術が次々に登場してくる中では、常に新しい知識を理解して応用する能力が求められます。
読解力が十分でない人々はそうした応用力に欠けることになり、周囲に遅れを取ることになるかもしれません。
逆に考えれば、こうした状況においては国語力を育むことが大きなチャンスになると言えます。本や新聞を読む人が減っているからこそ、読む習慣をつけて読解力を養っている人が有利だということです。
特に子どもが小学校に通う前に基本的な日本語を読めて書けるようにしておくと、その後の学習にも大きく役立つはずです。