もちろん、本当にひどい性加害にあった被害者の方が誌面で告発をすることもある。それによって、社会が動き、加害者が裁かれることもある。しかし、その一方で何かしらの「意図」があって、このような話を週刊誌に持ち込む人たちがいるのも事実だ。
例えばちょっと前、「週刊新潮」でサッカー日本代表の伊藤純也選手の性加害疑惑が報道されたが、伊東選手側は女性側に何かしらの「意図」があったと主張。女性側に計約2億円の損害賠償を求め提訴した他、新潮の編集者らも名誉毀損容疑で刑事告訴している。
「性加害疑惑報道」というのはそれほど難しい。そのような現実がある中で、「文春にたくさん被害者の話が掲載されているからアウトね」というのはあまりにも「雑」だと思わないか。
マスコミ報道につきまとう
「正義の暴走」
もうお亡くなりになったが、私の友人に三浦和義さんという方がいた。奥さんに保険金をかけてアメリカ・ロサンゼルスで銃殺したのではないか、という「ロス疑惑」で1980年代に日本中から「殺人犯」と叩かれた人だ。
この火付け役も「文春砲」だった。「疑惑の銃弾」という連載を始めると、マスコミ全社が後追いして三浦さんの過去、交友関係、女性関係などを執拗に取り上げて、犯罪者イメージを広めた。当時はBPOなんてないのでメディアリンチは凄まじく、マスコミには「私も保険金をかけられて殺されそうになった」と訴える女性や、「私は犯された」という被害者が次々と現れて、被害者同士で座談会をさせるようなワイドショーもあった。
しかし、最終的に三浦さんは「無罪」となり、自分についてお祭り騒ぎで報じたマスコミを片っ端に訴えた。すると、あれほど溢れた「被害者」の皆さんはいつの間にか姿を消した。もちろん、マスコミはそんな話は蒸し返さない。後年、三浦さんにこの不思議な現象について聞いたら、「被害者」の多くは、会った記憶もない、見知らぬ女性たちだったという。
売名、ヤラセ、いろいろな言葉が浮かぶかもしれないが、事件記者をやっていると、こういう現象にはちょくちょく遭遇する。「悪いやつを懲らしめるんだから、ちょっとくらい話を盛ってもいいだろ」と話を盛ってしまう。どうせ犯罪者なんだからわからないだろ、と伝聞した噂を自分が経験したことのように語ってしまう。大きな事件現場では、そんな「善意の告発者」がたくさんいるものなのだ。