輸送モードの選択よりも先に
議論すべき根本的な問題とは

 これらの疑問を、富士トラムを担当する山梨県知事政策局富士山保全・観光エコシステム推進グループに問い合わせたが、発表直後ということもあり、何度電話をしても担当者不在で聞けなかった。この点は今後、改めて取り上げていきたい。

 もっとも、山梨県と富士吉田市側の対立は輸送モードの選択にとどまらず、むしろ、もっと根本的なところにある。

 前述のように、富士山登山鉄道構想には、冬季の5合目を観光開発することで夏季に集中する需要を分散し、来訪者をコントロールしようという思想がある。だが、富士山のおひざ元である富士吉田市は、そもそも5合目の通年観光を否定しているのだ。

 富士山は観光地であると同時に信仰の地である。富士山はもともと禁足地とされていたが、修験者や富士講のために夏季に限り入山が許容された経緯がある。そのため富士吉田市や世界遺産の構成資産のひとつである北口本宮富士浅間神社は、冬季の入山は信仰上「禁忌」であるとして、以前から「冬の富士山はふもとから眺める」よう求めてきた。

 地元観光産業からすれば、信仰より現実の生活が重要との声もあるかもしれない。その是非やバランスは門外漢である筆者は立ち入らないが、いずれの立場を取るにせよ、全ての議論は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産登録されたことから始まったことは確認しなければならない。

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 それ故、信仰を持ち出すのは反対派だけではない。山梨県が2016年に策定した「富士山四合目・五合目グランドデザイン」も「信仰の対象である富士山に相応しい抜本的な景観改善が必要」と記されている。「信仰」問題を捨て去ってしまえば、世界遺産登録そのものが揺らいでしまうのである。

 来訪者のコントロール、景観改善、環境負荷低減の必要性は、山梨県、富士吉田市、富士五湖観光連盟、反対派市民団体のいずれも共有している。だからこそ、まず明確にすべきは需要分散のイメージで、その手段として冬季入山を推進するべきかの議論ではないか。

 その目的が明確になって初めて、どの交通モードを採用するかという議論が成り立つ。手段であるはずのLRTが目的化した議論が、ARTに衣替えしても、根本的な解決にはつながらないだろう。