ナマケモノPhoto:PIXTA

「仕事がデキる」「顔が可愛い」「金がある」など、私たちの人生はジャッジを下したり、下されたりの連続だ。しかし、自分の人生にとって「ジャッジ」はほんとうに必要なのか。2500年の時を超えて現代まで受け継がれている老子の言葉には、人々が生きやすくなる「ジャッジフリー」な思考が隠されているという。読売新聞「人生案内」の回答者を17年務め、45年間で10万人を診た精神科医が解説する。※本稿は、野村総一郎氏『人生に、上下も勝ち負けもありません。焦りや不安がどうでもよくなる「老子の言葉」』(日経ビジネス人文庫)の一部を抜粋・編集したものです。

人の自慢話を聞かされたときの
かしこい受け流しかたとは?

 きっとあなたの周りにも「自慢が鼻につく」というタイプがひとりやふたりいるはずです。クリニックを訪れる患者さんにも「職場の同僚のアピール、自慢が我慢ならない」と話す人はたくさんいます。

「メディアで人気の○○という評論家は自分の親友だ」

「自分はこんなに仕事がデキる」

「私はみんなにすごく慕われていて、必要とされている」

 そんなことをしつこいくらいアピールしてくる人もいて、じつにうっとうしい。それだけならまだしも、意外とそういう人が出世したり、評価されたりしているので我慢ならない。

 なんだかモヤモヤしますよね。

 そんなものはスルーすればいいのですが、それができず、どうしても気になって、ついつい考えてしまう。それが人の性というものでしょう。

 そんなときは動物の「ナマケモノ」のことを考えてみてください。

<ナマケモノの思考>
あの人、また無理してがんばってるね。
自分を大きく見せようとしてるよ。
いやいや、すごいよね~。
<老子の言葉>
企(つまだ)つ者は立たず、
跨(また)ぐ者は行かず。
自ら見(あら)わす者は
明らかならず、
自ら是(よし)とする者は
彰(あら)われず。
自ら伐(ほ)むる者は
功なく、
自ら矜(ほこ)る者は
長(ひさ)しからず。

<医訳>
つま先立ちで背伸びをしたって長い時間は立てない。大股で足を広げて歩いたって、遠くには行けない。自分の才能を見せびらかそうとする者はかえって受けがよくない。「自分の行動は正しい」と主張する者はかえって正しいと思われない。自分のことを鼻にかけて自慢する人はうまくいかない。

 ひとつはっきりしているのは、真の実力や自信がない人ほど自分を大きく見せようと過度なアピールをするということ。

 周囲の人たちもそれなりに大人なので「すごいですね」「さすがですね」と合わせてくれますが、その人の本質はやっぱりどこかで見抜かれているものです。

 仮に過剰なアピールが奏功して評価につながったとしても、それも一時的なもの。遅かれ早かれメッキは剥がれてくるでしょう。

 老子が言う通り「つま先立ちをずっと続けることなどできない」のです。

「幸せな人生を送れる人」とは
いったいどんな人?

 過剰なアピール、自慢をしている人を見たら「あの人、またつま先立ちでがんばってるなぁ」「無理して大股で歩いているけれど、いつまでももつかなぁ」と冷ややかな目でやりすごしておけばいいのです。

 それで自分自身はといえば、「私はナマケモノですから……」というくらいの軽やかなスタンスで、自分のペースでやっていけばいい。