早期警戒機導入のきっかけになったのは
1976年のベレンコ中尉亡命事件
フェルディナント・ヤマグチ(以下、F):先ほど「低空侵入機の早期発見と対処」とおっしゃいましたが、低空侵入機の早期発見、というと、やはりあのベレンコ中尉亡命事件が導入のきっかけとなったのですか?
1976年、時は冷戦時代。ソ連空軍の現役将校であるベレンコ中尉が、当時、最先端の戦闘機であるMiG-25(ミグ25)で、函館空港に強行着陸。アメリカへの亡命を試みた。
坂:その通りです。函館空港の亡命事件の際、MiG-25は高度50メートル、ほとんど海面スレスレの高さで飛行してきたんです。電波は直進しますので、地球の丸みの影響により、遠方における低高度目標が見えなくなってしまうという物理的な特性があります。地上レーダーよりも高い高度から監視を行うことにより低高度目標をより発見できるようにしています。低空からの侵入機に対しては、地上からだけでなく、空からも監視しようという機運が高まったことが一つの理由だと聞き及んでいます。
F:ベレンコ中尉もその特性を十分に理解していた。だから低く飛んできた。
坂:パイロットだからその特性をよく理解していたのではないでしょうか。地上のレーダーサイトだけでなく、航空機同士でも、下に潜り込まれたりすると海面の(レーダーの)反射によって本当にそこにいるかどうかが分かりづらくなります。E-2Cはそれを補える、というわけです。
プロペラが4枚の機体と
8枚の機体がある理由は?
F:E-2Cはいまどれらくいの数があるのですか?
坂:E-2Cは現在、約10機。その改良型であるE-2Dは導入を進めているところです。
F:滑走路の横に、プロペラが4枚の機体と8枚の機体が止まっていましたが、8枚の機体がE-2Dということですか?
坂:良く気付かれましたね。ですがあそこに止まっているのは両方ともE-2Cです。従来の4枚式のプロペラは完全な機械制御でしたが、8枚の方は電気的な制御になっています。