ヤクルトのルーキー・青木宣親が、当時の若松勉監督へのアピールに利用して成功した日本古来の習慣とは?Photo:SANKEI

「外野手で、センターなら絶対に青木。さらに言えば、日本球界で外野手と言えば青木だ、と言われるような実績を最初に作らないといけない」――強い覚悟で臨んだプロ2年目で、青木宣親は見事に首位打者と新人王を獲得した。そこには、青木の「行ききる」という美学があった。ヤクルトファンのミュージシャンであり作家の尾崎世界観が、ヤクルトスワローズのレジェンド・青木宣親と語り合う。本稿は、青木宣親・尾崎世界観『青木世界観』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

一度チャンスを逃しても
最後に勝てればいい

尾崎 プロ入り2年目でイチロー選手に次いで史上2人目のシーズン200本安打を記録し、WBCの優勝にも貢献した。3度、首位打者になり、メジャー移籍を果たして6シーズンにわたってプレー、日米通算2000本安打を達成し、ヤクルトに復帰して日本一にもなった。

 青木さんはことごとくチャンスをモノにしてきた印象がある。本来、過去を振り返った時にしか分からないはずのチャンスが、青木さんだけにはその瞬間に見えていたんじゃないか、と思えるような独特の力を感じる。

 その正体は研ぎ澄まされた嗅覚なのか、遥か先を見通す眼差しなのか、あるいは経験則から導き出される勘なのか。常に縁と運を味方につけながら、今そこにあるチャンスに向き合い続けてきた。そう思えてならない。

青木 シチュエーションとしての「チャンス」という意味では、野球ほどその場面が分かりやすいスポーツはないかもしれません。1試合の中での勝負どころというのは、固唾を呑んで見つめるファン以上に、戦っている選手たちはビシビシと感じています。ここは絶対に自分が決めなければいけない、という場面で打席に向かうこともあるし、ここは絶対にミスをしてはいけない、という緊迫感の中に立たされることもある。

 ただ、僕は究極を言えば「最後に勝てればいい」と思っているんですよ。一度チャンスを逃したと思っても、それが逆の目に出て流れが二転三転することはよくある。チャンスを逸してその試合で敗れたとしても、その悔しさが端緒となってチームの空気がいい方向に変わることだってあります。三振したその打席で、バッティングの大きなヒントを掴むことだってあるかもしれません。

二軍の首位打者を必ず獲る
盗塁もしっかり決める

 チームとしても個人としても、最後に勝利に辿り着ければ最高。そこに至るまでの道は真っ直ぐではなく、いくつかの勝負どころや、分かれ道のようなものがある。試合に勝って勝負に負けた、ということもあれば、その逆だってあるでしょう。だから野球は面白い。プロ21年目でも、野球の奥深さというものを日々新鮮に感じています。

 自分の野球人生を振り返ってみると、プロ入り後に初めて「ここがチャンスだ」とはっきりと認識して野球に向き合ったのは、2年目の2005年シーズンでした。