ある程度いい成績を残して、レギュラーを獲れたのだからそこでやめておく、ということもできたかもしれない。でも、どうしても自分はそうは思えなかった。中途半端な自分でいるのは許せなかったんです。

「行ききる」という覚悟、ですかね。ポリシーというわけではないんですが、自分の中でいつも「結果を残す時には一気に行け」という思いがあるんです。ある程度の結果を残してそこで終わり、というのは並の選手。やるなら一気に全て獲る。大きなものを先に全部獲ってしまおう、って。

「日本一の外野手」レベルの実績を
最初に作らないといけない

 元々、そういう考え方をするタイプではあったんですが、その思いを強くしたのはプロ1年目の時です。どうすればレギュラーになれるか、ということで、技術面を鍛えると同時に、トップに立てる選手はどういう人間なのか周囲を観察するようにしていました。

 一軍で少し結果を出した、くらいの存在なら、次の年に大物ルーキーが入ってきたらまた1からやり直しです。どちらを使いたいか、なんて、誰かと天秤にかけられるような存在じゃダメなんですよ。外野手で、センターならば絶対に青木だ、と。さらに言えば、日本球界で外野手と言えば青木だ、と言われるような実績を最初に作らないといけない、そう思っていました。

尾崎 「行ききる」――。青木さんらしいその言葉に築き上げてきたキャリアと足跡を思い、腹落ちするものがあった。

ヤクルトのルーキー・青木宣親が、当時の若松勉監督へのアピールに利用して成功した日本古来の習慣とは?『青木世界観』(青木宣親・尾崎世界観著、文藝春秋)

 入団時にはまだ“何者でもなかった”左打ちの外野手がプロ2年目に彗星の如く現れ、3割、200安打と、夢のような数字を軽々と超えていった。200安打まで残り「1」とし、プロ野球ファンの注目を集めて迎えた2005年10月11日の横浜戦では、第1打席の初球を捉えてあっさりと200安打を決めた。

 オリックスに在籍していた1994年のイチロー選手以来の大台到達という大記録だったが、そんな輝かしい実績をよそに、青木さんの言葉はいつもどこか飄々としていて、自分自身を常に客観的に見ているような印象があった。