コンプラ意識で窮屈な令和マネジメント
多様性が大事なのに結局、画一的

 さて、前置きが長くなりましたが本題です。ドラマふてほどを見て痛感したのは、令和の人材マネジメントがSL理論に全く沿っていないということです。ハラスメントになるリスクを避けようと、どんな成長レベルの部下に対しても細かな単位での指示型行動は避けて、大きな単位の支援的行動のみにとどめるようになりつつあると思います。場合によっては、支援型行動すら控える傾向もあるでしょう。

 それを象徴するのが、先述した居酒屋シーンの田代のせりふです。「何も言わなきゃよかったんです。何も言わずに見守って」は、本来その部下に必要な具体的な指示もせず、支援型行動の1つである「承認」も弱いと言えるでしょう。パワハラ回避策が、マネジメント自体の放棄となっています。

 これでは、たとえモチベーションは高くても業務スキルや知識が足りない部下は、暗中模索になり空回りし、不安が高まるばかりです。本来、このような部下に対して上司は、指示型行動も支援型行動も必要に応じてどんどん行うべきです。

 居酒屋シーンはその後、このドラマの醍醐味である独特なミュージカルシーンに展開します。秋津が「話し合いましょう、たとえ分かり合えなくても。ロボットじゃない僕たちだからできること。それは話し合い」と歌い出し、皆で本音をぶつけ合います。

 そして、突如として加賀ちゃんが登場。秋津や周りに「叱ってほしかったんです。叱られたことがない。一度も、親にも、誰にも」「構ってほしかっただけかもしれません」と打ち明けます。秋津は「それは、言ってくれないと分からない」と返し、最後は「話し合えて良かった」と皆が納得の表情を浮かべます。

 こうしてパワハラ疑惑は一件落着しましたが、とはいえ、秋津も田代も鹿島もある意味、マネジメント不全の被害者なのです。印象的だったせりふを紹介します。

秋津 上から何も教わってないのに「下は腫れ物、気を付けろ」。今年で入社7年目。メンタルとっくに限界です!
田代 どんな正義も振りかざしたら圧になる。だから主張しない、期待もしない。今年で入社13年目。メンタルとっくに死んでます!
鹿島 叱ったらそれはパワハラになるじゃないか。だから怖くて叱れない。それが組織。

「多様性が大事」と猫もしゃくしも謳っているのに、組織における人材マネジメントは令和時代においても結局、画一的なものを要求していると思います。もしかすると一部では、昭和の同調圧力以上のものがあるかもしれません。昭和と令和を行き来する小川の言動は、そういった点も示唆していると感じます。

 ドラマふてほどの世界観は、時代が進んでも私たちが乗り越えていない壁について、時にシニカルに指摘します。一方で、昭和と令和の良い点もたくさん思い起こさせてくれます。最終回まで目が離せそうにありません。