正気じゃないけれど……奥深い文豪たちの生き様。42人の文豪が教えてくれる“究極の人間論”。芥川龍之介、夏目漱石、太宰治、川端康成、三島由紀夫、与謝野晶子……誰もが知る文豪だけど、その作品を教科書以外で読んだことがある人は、意外と少ないかもしれない。「あ、夏目漱石ね」なんて、読んだことがあるふりをしながらも、実は読んだことがないし、ざっくりとしたあらすじさえ語れない。そんな人に向けて、文芸評論に人生を捧げてきた「文豪」のスペシャリストが贈る、文学が一気に身近になる書『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)。【性】【病気】【お金】【酒】【戦争】【死】をテーマに、文豪たちの知られざる“驚きの素顔”がわかる。文豪42人のヘンで、エロくて、ダメだから、奥深い“やたら刺激的な生き様”を一挙公開!
日本刀を持って立てこもる
東京生まれ。本名・平岡公威(きみたけ)。東京大学法学部卒。代表作は『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『憂国』など。祖父は樺太庁長官、父は中央官庁・農商務省に勤める官僚で、裕福な家庭で育つ。学習院初等科に入学するも病気がちで、祖母の影響から読書をして過ごす。父には作家を目指すことを猛反対されていたが、昭和16(1941)年、弱冠16歳にして『花ざかりの森』が国文学雑誌『文藝文化』に掲載されデビュー。東大卒業後は大蔵省に入るが、9ヵ月ほどで辞めている。多くの作品を執筆し、戦後の日本文学に多大な影響を与え、ノーベル文学賞候補にもなる。昭和45(1970)年、東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、45歳で割腹自殺。
昭和45(1970)年11月25日、三島由紀夫が自殺したというニュース速報を当時中学1年生だった私は、学校内で知りました。
間接侵略に備えるための民間防衛組織として三島が主宰した「楯の会」のメンバー4人を引き連れ、東京・陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の「陸上自衛隊東部方面総監室」に、日本刀を持って立てこもり、益田兼利総監の身柄を拘束したのです。
そして、自衛隊が日本国憲法によって否定されていることに対して、憲法改正を主張し、クーデターを起こすよう促しました。
中学校の職員室を騒然とさせた
割腹自殺のニュース速報
この騒動は「楯の会事件(三島由紀夫事件)」として半世紀以上、語り継がれていますが、なぜそんなことが起きてしまったのかは、いまだに議論が続いています。
実は、私が文学にのめり込んだ大きな要因の1つは、この事件でした。当時の騒然とした職員室の空気を、いまでも鮮明に覚えています。
中学1年生の昼休み、たまたま用事があって職員室を訪れると、教師が総立ちでテレビを見ていたのです。「三島由紀夫が切腹した」と、職員室はどよめいていました。
「三島由紀夫」の名前すら知らず勘違い
まだ文学に目覚めていなかった当時の私は、「三島由紀夫」という名前すら知りませんでした。
そのため、似たような名前で、メディアを通じて全国的に有名だったタレント「青島幸男」が切腹したのだと勘違いしたのです。
ちなみに青島幸男は、放送作家・作詞家・俳優としてマルチに活躍した昭和を代表するタレントで、植木等が歌った『ス―ダラ節』をヒットさせたり、テレビドラマ『意地悪ばあさん』の主人公を演じたりしてお茶の間の人気者になり、ついには東京都知事も務めた人物です。
「青島幸男」と間違えて大誤報を流す
急いで教室に戻った私は、クラスの同級生たちを前に「青島幸男が切腹したらしいよ!」と“大誤報”を流した記憶があります。
その日の午後、授業をやめて、先生が1時間ほど三島の話をしてくれました。ノーベル文学賞候補にもなった世界的に評価の高い作家だと説明しましたが、さほど興味のない私たち生徒はキョトンとして話を聞いていました。
どうしてそんな作家が自衛隊の駐屯地に乗り込んで、切腹したのか。まったく理由がわからず、非現実的な状況に私の頭は混乱していました。
※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。