――時代が一度変わった、と。その中でNONSTYLEとしては旨口にこだわり、自分たちをブランド化してきた。
石田:そうですね……でもこれも、実はこだわっていないんです。僕たちはいろんな種類のネタをやっていて、ただ、今のNON STYLE が求められている味、テレビでこれをやってくれと言われるのはだいたいこの味、というのはわかるわけです。
――その結果、居場所を変えずに需要を自分たちへ引き寄せることができたんですね。会社の方針や世間の求めるものと合わないと思っても、粘りようによってはチャンスになる、と。
石田:だから単独ライブを見に来られたら、特に僕らなんかは旨口も甘口も辛口もやって、クラフトビールもやってるのがわかってもらえると思う。そんな中で、テレビ用はこれやな、でも寄席はこれやねんな、芸人をギャフンと言わせたいならこれをやらなあかんな、みたいにいろいろ試してきたんですよね。
若手の頃恵まれなかった人が、中堅以降報われるためには
何を大事にすればいい?
――でも夢叶わず、焦って途中で事務所を移ったり、芸人自体を辞めてしまったりするケースも多いのが、お笑いの世界の厳しさです。昨年から、結成16年以上の芸人によるお笑いコンテストTHE SECONDがフジテレビ系列で始まりました。石田さんが著書の中で「脂肪たっぷり」と表現する漫才師さんたちが涙の優勝を手にしていますが、会社員も、若手時代に恵まれなくても、中堅以降で花開いて報われるためには、何を大事にしていけばいいでしょうか。
石田:以前、(桂)文珍師匠に聞かれたんです、「石田くん何歳になった」って。「40過ぎました」と答えたら、「いろんなことが楽しくなってくる頃やで。お金も自由も、意見も通りやすくなってきたやろ」と。
そうしたらびっくりすることをおっしゃったんですよ。「でもな、僕も80近いけれど、あの40代の何が楽しかったんやろと思うくらいに、いまこの歳が一番楽しいねん」って。