「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【渋沢栄一も学んだ】二宮尊徳が教える“赤字を防ぐ支出管理”と投資術Photo: Adobe Stock

貧困からの大逆転!
二宮尊徳が成し遂げた“復興の奇跡”とは?

二宮尊徳(1787~1856年)は、江戸時代を代表する農政家・思想家。小田原藩(神奈川)の豊かな農家に生まれたが、父親が資産を失ったことにより、幼年時代は苦しい環境に置かれる。しかし、尊徳自身の努力により、実家を再興。一方、小田原藩の家老の財政も立て直したことから、藩内で苦しんでいる地域の復興にも関わり、成功させる。さらには、小田原藩以外の地域復興にも貢献し、晩年には幕臣にとり立てられる。各地の復興から尊徳が打ち立てたのは「報徳仕法」。その復興政策は「報徳仕法」と称され、現代に至るまでの多くの政治家や経営者に影響を与えてきた。

二宮尊徳の農村復興と「報徳仕法」

 二宮尊徳は独自の農法・農村改良策で、小田原や相馬などおよそ600村を復興しました。その復興政策は、経済と道徳の両立を目指したもので「報徳仕法」と称賛されました。

 農村の立て直しの方法は、「分度」「勤勉」「推譲」「至誠」と4つのコンセプトで構成されています。また、尊徳の説く「報徳」とは、過去・現在・未来を貫く「天・地・人」の徳に報いることを指します。

なぜ「収入の半分で暮らせ」なのか?
二宮尊徳が教えた節約の極意

分度とは、あらかじめ定めた収入の範囲内に支出を収めること。現代でいえば、予算を立て、その範囲内にコストを抑えることになります。

二宮尊徳は収入が100石であれば、支出は半分の50石に抑えるべきだと教えています。そのうえで地域の人たちに勤勉、つまり一生懸命働くことを求めました。

一生懸命働き、分度で定めた以上の収入が生まれれば、そのぶんは丸々利益となるのです。そして、生まれた利益は地域のために寄付したり、将来の子孫のために貯金したりする。これが推譲です。

【分度・勤勉・推譲】二宮尊徳が語った
“地域再生の4原則”とは?

ここまでを整理すると次のようになります。

  • 分度:あらかじめ定めた収入の範囲内に支出を抑えること
  • 勤勉:定めた収入以上に収入を生むよう頑張ること
  • 推譲:生まれた利益を地域や子供の将来に使うこと

そして、これらのベースとして至誠、つまり「まごころ」を尽くすことが中心にくると考えました。尊徳は、この4つのコンセプトに基づいて地域復興を進めたのです。

コストを抑えて地域を救う
二宮尊徳の成功哲学

分度にもとづいてコストを抑制すれば、赤字になることはありません。勤勉により分度以上に収入を上げれば、そのぶん利益も生まれます。

推譲で利益を地域や子供の将来に使うのですが、たとえば地域の新田開発などに利益から先行投資すれば、将来の収入を増やすことができます。

至誠でまごころを尽くしていれば、これらのとり組みは着実に進むのです。この報徳仕法により、多くの苦しい地域を復興したわけです。

【日本資本主義の父】渋沢栄一が
尊徳から学んだ「分度・推譲」の力

この教えは明治維新以降も、多くの経済人に影響を与えました。

第一国立銀行(現・みずほ銀行)をはじめ数多くの企業を設立して「日本の資本主義の父」とも呼ばれる渋沢栄一(1840~1931年)、トヨタグループ創始者の豊田佐吉(1867~1930年)、松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助(1894~1989年)、京セラ創業者の稲盛和夫(1932~2022年)と、尊徳の影響を受けた経営者が日本経済の近代化を後押ししたともいえるでしょう。

※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。