恋愛、不倫…タレントの価値を毀損する基準は
時代と共に変わる

 昭和の時代はアイドルのスキャンダルは致命的にタレントとしての価値を棄損する問題でしたが、平成の後半あたりからは若いタレントが恋愛をすることへの社会の許容度は緩くなってきました。

 恋愛禁止令の出ていたAKBグループでも、指原莉乃さんについては左遷で決着がつきました。峯岸みなみさんは経済価値的には引退すれすれの状況でしたが、頭を丸めたインパクトで経済価値が上がり生き残ります。

 一方で、同じ時期に明らかに経済価値の尺度でペナルティが強まったのが不倫です。

 以前から不倫も良くないスキャンダルとしてタレントの経済価値を下げる要因ではあったのですが、石田純一さんが「不倫は文化」発言で世の中の反感を買ったことを例外とすれば、以前ならば「人のうわさも75日」でみそぎも済んで一線に戻れたものです。

 それがベッキーさんの文春砲あたりから、タレント寿命にとどめを刺すほどの悪行へと不倫の扱いが変わりました。

 なぜ昔はアイドルの恋愛が悪いことだったのか?とか、なぜ今は既婚者の恋愛はダメなのか?とか、読者の皆さんもその基準の正当性について異論はあるかもしれません。

 しかし経済の視点で見れば、多数の消費者が毛嫌いするタレントには経済価値がない。これが冷徹な事実です。

 そして近年、その尺度として一番消費者が毛嫌いするようになったのが性暴力です。時代の転換点としてはジャニー喜多川問題をマスコミがきちんと取り上げるようになったことがその分水嶺となりました。

 ここで経済の視点で申し上げると、示談になったとか和解したということは重要ではないということです。重要なのは視聴者の多数がその人を嫌いになったかどうかです。

 問題になったタレントの中には、「事実無根なので戦います」とおっしゃる方もいらっしゃいました。

 裁判で性暴力が事実無根であったことがはっきりすれば多数の視聴者はその人を嫌いにならなかったかもしれません。しかし途中で和解したら「何かあったけど金で解決したのだろう」と思われます。