不祥事後のタレントの価値は
「消費者の受け止め方」で決まる
再三申し上げるように、経済の視点で見ればテレビにその人を起用するかどうかは、視聴者が好感度を持つかどうかが尺度です。
ファンの方々がその人を信じて応援するのはいいことですが、ファン以外の方々が毛嫌いするほどアンチに回るのであればメディアで起用する価値は打ち消されてマイナスになります。
最近の事情を単純化すると、消費者の受け止め方で不祥事後のタレントの価値は下記のように分かれます。
不倫をしたタレントはCMに復帰するのは難しいけれども、ドラマやバラエティに復帰するのはある程度ほとぼりが冷めれば可能です。交際が判明したアイドルについては、それほどペナルティは大きくなく、番組降板はまずないうえに周囲の祝福度合によってはCM降板の必要もないかもしれません。
一方で性暴力が問題なったタレントはCM打ち切りは当然で、地上波に復帰するのも事実無根でない限りまず難しいでしょう。
この好感か嫌悪かが基準になる処遇が正当なものかそれとも理不尽なのか、読者の皆さんの間にも多様な意見があると思います。ここではその是非ではなく、経済価値でタレントの価値を測るとそうなってしまうという話をしています。
さて、ようやく本題です。吉沢亮さんの場合はどうなのでしょう。
悪意の大小によって
世論の嫌悪感は変わる
「世の中が嫌悪感を持つかどうか」という尺度で言うと、以前とはそのペナルティの度合が上がったもののひとつが酒を飲んだうえでのトラブルです。
芸能人に限らず、逮捕された後で「酒に酔っていて覚えていない」と申し開きをする人が一定数います。心神耗弱状態だったことを主張して、責任能力が著しく減退していたため刑が減軽されることを期待しての申し開きです。
一方、酩酊状態でやらかした行為が不起訴になることに対して、刑法を超えた嫌悪感を覚える人が一定数います。たとえとして適切かどうかわかりませんが、自民党議員の裏金問題で、検察が議員を不起訴にしたことで国民の嫌悪感が逆に高まったのと似た現象です。