子供を危険な教育から守ろうという意思表示だ。まずは、ホームスクーリングへの称賛で、会場は連帯感を強めた。

アメリカの教育委員会は
選挙でメンバーを選ぶ

 カーク氏が次に取り上げたのが、教育委員会への関与の重要性だ。日本の教育委員会の制度では、教育長と委員は、都道府県知事や市町村長が任命する。任命にあたっては議会の同意が必要だが、名簿を示すのは自治体の長だ。

 これに対して、アメリカでは、地域によって制度はさまざまだが、カーク氏が言及したのは、教育委員を選挙で選ぶ制度が導入されていれば、そこで何をすべきかということだ。教育機関のトップになるためには、選挙という有権者の審判を受けなければならない。

 中央集権的な要素が強い日本では、教育は、全国どこでも一定水準の教育を受けられるようにするためとして、文部科学省が学習指導要領を定め、少なくとも公立の学校では、この枠を飛び出すことは難しい。

 教育以外では、警察の制度を見てみる。日本では、都道府県単位で警察機構が設けられているが、実際には、各地の本部長は警察庁のキャリア組が就任することがほとんどで、ここでも上意下達がきくようになっている。

 これに対して、アメリカでは、地域の警察のトップは選挙で決められている。ここは中央集権と地方分権の是非を議論する場ではないが、確認しておきたいのは、アメリカでは、日本に比べて地方自治の原則がはるかに重視されていること、そして、それを担保するために、日本よりも多くの種類の公職について選挙が行われているということだ。

 若きカリスマは、ここでも会場への呼びかけを行うことで、参加者の一体感を強めていく。カーク氏は、「ここには、教育委員会の選挙に立候補した人がたくさんいると思います。この前の中間選挙までのタイミングで候補者となり、扉を叩いた人たちです」と語りかけた。

 なぜ、教育委員会の選挙が重要なのか。ここからカーク氏は、敵視すべき思想について、過激な言葉を使って論を展開していく。

「我々の敵であるマルクス主義、全体主義の左翼は、毒、憎悪、暗闇、憤慨、傲慢、そして絶望に満ちています。この後、皆さんは、我々の素晴らしい登壇者たちから、全体主義の左翼たちがどのようにして我々の制度を奪い取ったのか、そして、彼らがどのように卑しいクリティカル・レイス・セオリー、このナンセンスでwokeなものを子供たちに教えているのか、話を聞くことになるでしょう」