2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の主人公、蔦重こと、蔦屋重三郎が、吉原の遊女たちや海千山千の「忘八」親父たちを向こうにアイデアを絞ったり、営業に奔走する姿は、いまのビジネスマンにも通じるものがあります。蔦重が活躍した吉原とはどんなところだったのでしょうか。『見てきたようによくわかる 蔦屋重三郎と江戸の風俗』(青春出版社)から、吉原についてご紹介します。
どんな経緯で吉原は幕府公認になった?
蔦屋重三郎は、廓町の吉原に生まれ、駆け出しの編集者として、最初のヒットを飛ばしたのも、吉原のガイドブックでした。そして、後に喜多川歌麿を見いだして、吉原遊女をモデルに数々の美人画、風俗画をプロデュースし、大当たりをとりました。
この記事では、蔦重と切ってもきれない関係にあった「吉原」とは、どんな町だったのか?──その成り立ちや仕組みについて紹介していきましょう。
まず、吉原の歴史を振り返ると、その歴史は古く、江戸初期にまでさかのぼります。それ以前から、江戸の町に遊女屋はあり、1612年(慶長17)、庄司甚右衛門(しょうじじんえもん)という人物が、遊女屋の仲間たちとともに、「江戸に遊女屋を一か所に集めた遊女町をつくりたい」と幕府に陳情したのです。