軽自動車No.1「ワゴンR」が売れていたのに、パレットが大苦戦

鈴:外の方から見ると、そういうイメージがあるかもしれません。その頃のスズキには「ワゴンR」という主力ブランドがありました。それこそ月に1万6000台も売れていた。だから何となく「ナンバーワンを取るのはそこだろう」という雰囲気もありました。

F:ワゴンR、売れていましたよね。

鈴:はい。それはもう大変な勢いで売れていました。それもあって、我々が時代の流れについていけなかったのかもしれません。結果としてパレットが売れない。そうこうするうちにホンダさんがN-BOXを出してきた。

F:一気にガサッとやられてしまった。

鈴:そうなんです。N-BOXさんに、あまり売れ行きの芳しくなかったスペーシアだけでなく、ウチのワゴンRのユーザーまで根こそぎ持っていかれてしまった。ワゴンRは長期間軽ナンバーワンの座を守っていたクルマなのですが、それをホンダさんに全部持っていかれてしまった。結果として、スズキ全体が沈むような形になってしまったんです。

N-BOXの登場は衝撃だった

F:N-BOXの登場はそんなに大きかったですか?

鈴:大きかった。衝撃でした。初代のスペーシアには3つのカテゴリーがありました。ベースになるスペーシア、スペーシアカスタム、そしてカスタムZの3種類。売れていない状況を何とかして覆さなきゃ、このままだとスペーシアは本当に沈んでしまう、という状況で。カスタムのさらにカスタムみたいな形で、かなり押しの強い感じの顔のZを造ったんですね。

F:かなりオラオラ感の入ったスペーシアですね。これを後から追加した。

鈴:はい。「スペーシアはこのままだと本当にヤバいぞ」という強い危機感があって、それで途中からカスタムZを造りました。その時私は、カスタムZをやりながら、2代目スペーシアの開発も担当していました。今のスペーシアは3代目ですから、ひとつ前のモデルになりますね。

F:初代のカスタム版をやりながら、次世代のクルマの開発もやられていた?

鈴:はい。初代のカスタムZと2代目の開発を同時にやっていました。それくらいスペーシアは危機的状況にあったんです。スペーシアがヤバい。何とかここで頑張らなきゃいけない。2代目スペーシアと初代の派生車種になるカスタムZを出しましたが、その時点ではどちらも売れる保証などありません。我々としては、カニバリゼーションを起こさずに、もう一つ、市場をしっかり取れるクルマを考えなきゃ……という命題があったんです。