毛沢東、鄧小平時代と
習近平体制下の経済の違い
毛沢東は晩年になって、先進国に「追いつき、追い抜く」ために「大躍進」運動を展開する。農村では、個々の農家を集団化した「人民公社」が組織された。だが、この運動は失敗し、中国経済が混乱に陥った。
人民公社では、家庭での食事作りをなくすため、無料で食事ができる公共食堂が誕生した。それと、現在の社区食堂が似ているという見方もできる。
もちろん当時と今では、時代があまりにも違う。毛沢東時代は、共産主義を短期間で実現することが強調されていた。一方で現在は、国民の「獲得感」(満足感)を強調している。食堂は同じとは言えないが、ただ、理念は似ているところがある。
毛沢東時代の理想主義的な経済政策の根底には、「皆が平等になる」という思想があった。弱者を救済する考え方は改革開放以降も堅持されており、鄧小平も最終的には「共同富裕」に至ると述べている。習近平政権による「共同富裕」も、過去の政権の考え方を受け継いでいる。
習政権は共同富裕を実現するために、分配を重視している。それは、企業から労働者への賃金など市場メカニズムによる「一次分配」、国の低所得者救済による「二次分配」、高所得の寄付による「三次分配」がある。そうしたマクロに比べると、愛心レストランや社区食堂はミクロではあるものの、共同富裕の一部を成しているだろう。
中国経済は、24年の目標である5%の経済成長率を達成した一方で、職にありつけない若者も少なくない。景気回復に時間がかかりそうな影響で、中間層の力が弱体化しつつある。富める者が貧しい者を助ける構図は、どうなってしまうのか。
習政権は、「新しい質の生産力」の概念を打ち出した。新技術を使った製造を発展させることで、新たな需要と雇用先を生み出そうというもの。自動車やデジタル機器の購買刺激策を発表し、需要・供給の両サイドから経済回復を図っている。
低所得者の救済は政府だけでなく、民間の力も必要になってこよう。ただし、愛心レストランは個人の善意によるもので、限界がある。習政権は経済発展に民間の力をより多く活用する方針だが、弱者救済に何らかの民間の力を投入することも必要だろう。
『福祉の経済学』(アマルティア・セン著、岩波書店)によると、例えばパンには栄養の摂取のほかに、一緒に飲食することを可能にする社会的機能もある。愛心レストランで無料提供された食事は、貧しい人々の栄養摂取に資するものだが、弱者を助けようとする取り組みを社会に知らしめる機能もあるはずだ。