私が東京大学に入学した当時のクラスは、都立高校出身者と、全国の公立高校の出身者が大半だった。最近、東大や東工大(現在の東京科学大)の学生に「君の出身高校は?」と尋ねるとそのほとんどから、よく知られている有名進学校の名前が返ってくる。学生の選抜が中学、高校と早い時期から始まっていることがわかる。
出身地の多様性も薄れてきている。東大や東工大など、かつては日本中から学生が集まってきたような大学でも、ある意味で地方大学化しているのだ。東工大でいえば、20年前は関東圏以外の出身者が半分いたそうだが、現在では3割程度にまで下がっている。
日本はこの10年、全体として貧しくなっていることはさまざまな統計から明らかだ。親の世代が子どもにお金をかけることができなくなっていて、仕送りの金額が明らかに少なくなっている。その結果、多くの国立大学はそれぞれの地域の出身者で占められる割合が高くなっている。東大生の親の年収がほかの大学に比べてもっとも高いことも示されている。早い時期に選抜が進み、大学生の多様性が低くなってしまった。
大学も多様性を確保しようと努力をしている。たとえば東工大では2020年から「ファーストジェネレーション枠」という新しい試みが開始された。両親が大学卒でない高校生に大学進学の機会を増やそうという試みである。この支援が、親の学歴に左右されずに本人の大学進学の希望を叶え、才能が発揮できる社会の一助になればと思っている。
この活動は、私の寄付を原資として始まったために名前が冠されてしまった「大隅良典記念奨学金」システムの中の1つの試みである。基金自体は設立以来、卒業生を含めた多くの人たちからの寄付によって何倍にも膨らんでおり、このような活動を支えている。
従来の均質な人たちを求めてきた日本社会が今後どのような社会を目指せば良いのか、本来多様性が求められる科学の世界や大学から、新しい方向性が発信されることを願っている。
日本人が議論下手なのは
異質を排除する教育の結果
研究が発展するために、ただ多様な人が周りにいればいいかというとそれほど単純ではない。多様な人間の相互作用の意味を考えてみたい。
研究活動は個人的な作業に負うところが多いのは事実だが、研究者は人との関わりの中で学び、育てられるものでもある。議論する中で自分の考えを整理し、深化させることができる。いろいろな人に出会い、まったく違った考え方や問題の解析方法を知ることが大切だ。