人気著者の読書猿さんをはじめ、多くの読者が復刊を切望していた名著『THE ROBOT'S REBELLION ロボットの反逆』が、ついに新訳により復刊した。本書は、ベストセラー『独学大全』の重要な参考文献であり、『ファスト&スロー』『利己的な遺伝子』にも連なる、学問の枠を超えた名著だ。本のタイトルの「ロボット」とは、人間のこと。私たち人間は、遺伝子の乗り物、生存機械(サバイバルマシン)でしかない。それでも、人間はその運命や出自に反逆し、自由になれるはずだ、と著者は主張する。AIの時代にこそ、再び読みたい一冊だ。今回は、本書の刊行を記念して、冒頭の読書猿さんの解説部分を、全文公開する。

ベストセラー著者が「絶対に復刊したい」と絶賛!多くの研究者からも熱狂的に支持される「伝説の名著」とは?Photo: Adobe Stock

ダーウィンのアビス(奈落)より

 本書は、キース・E・スタノヴィッチの著書、The Robot’s Rebellion : Finding Meaning in the Age of Darwin. University of Chicago Press, 2004.の全訳である。

 この原著はかつて椋田直子の翻訳、鈴木宏昭の解説により『心は遺伝子の論理で決まるのか―二重過程モデルでみるヒトの合理性』との邦題で2008年にみすず書房から邦訳が刊行された。同邦訳(以下「旧訳」と記す)は、その後品切れとなり、近年は入手困難な状態が続いていた。

 解説者の著書『独学大全』の主要参考文献のひとつであることから、『独学大全』の版元であるダイヤモンド社で翻訳権を取得、完全な新訳としてこの度刊行したものである。

 著者キース・E・スタノヴィッチは、カナダ出身の心理学者であり、現在はトロント大学応用心理学・人間発達部門の名誉教授である。カナダ研究会議の応用認知科学の議長も務めていたこともあり、教育心理学、特に読字能力の認知科学的研究において多くの業績をあげ、2012年にはアメリカ心理学会(APA)からソーンダイク・キャリア・アチーブメント・アワードを受賞している。また、言語学習障害や読み書き障害の研究で多くの賞を得ており、教育における「マタイ効果」についての論文でも注目を集めた。

 近年、スタノヴィッチはIQテストでは測れない合理的思考能力の重要性を主張し、合理性の認知心理学的研究に力を入れてきた。「合理性指数RQ(Rationality Quotient)」という新しい評価指標を提案した共著『The Rationality Quotient: Toward a Test of Rational Thinking』は大きな反響を呼んだ。この書は、合理的思考を評価するためのテストCART(Comprehensive Assessment of Rational Thinking)を開発した著者たちが、その理論的背景と実証研究を詳述している。他に『私たちを分断するバイアス―マイサイド思考の科学と政治』などの著作もあり、批判的思考や認知バイアスの観点から、私たちが合理的な判断を行うために何が必要かを科学的に論じる第一人者だと言えよう。

 本書の前提であり、また核のひとつとなる主張は、ヒトはわれわれが想像してきたような自律的で合理的な存在ではないというものである。認知科学、そして進化論を中心として開花した生物学の諸分野は、私たちヒトが遺伝的・文化的な進化の力によって強く制約されている事実を明らかにしてきた。スタノヴィッチはこのような人のあり方を次のようにまとめる。人間は遺伝子によって自己増殖のために作られた「生存機械(サバイバルマシン)」あるいは「ロボット」にすぎない。

 しかし本書が探究するテーマは、タイトルの通り、その先にある。ロボットに過ぎないわれわれは、いかにしてその制約に対して抵抗し自由を求めることが、反逆を企てることが、できるのだろうか。

心の二重プロセス理論

『THE ROBOT’S REBELLION ロボットの反逆』を支える重要なアイデアが、スタノヴィッチの研究の主要な焦点となっている認知の二重プロセス理論(dual process theory)である。この理論は、人間の心は2つの異なるタイプの思考に依存していると仮定している。

 しばしば「システム1」と呼ばれるもの、本書では進化的に古い自律的なシステム(TASS)は、速く、自動的で、直感的で、ほとんど無意識的に作動する。そのため、即断即決ができ、パターンを認識し、刺激に素早く反応することができる。しかし、偏見やヒューリスティックが生じやすく、非合理的な、あるいは最適とはいえない決断を下すこともある。

 これに対してしばしば「システム2」と呼ばれるもの、進化的に新しい分析的なシステムは、ゆっくり、じっくり、分析的であり、その使用に努力を要する。いま・ここの状況から一旦距離を置き、抽象的な推論を行うことができ、複雑な問題を通して考えることもできる。そして最も重要なのは、システム1に由来する最初の衝動を上書きすることもできる。しかし、認知資源をたくさん消費し、疲れやすいため、私たちは多くの場合、システム1の思考をデフォルトとして日々を送っている。

 スタノヴィッチは、この2つのシステムの相互作用という枠組みでわれわれの行動や認識を捉え直す。これによって、私たちの認知の失敗の根底にあるメカニズムを鮮やかに解き明かす。

 たとえば、大抵の場合役に立つ、われわれの直感はなぜ失敗することがあるのか、という疑問は次のように考えることができる。

 自律的なシステム(TASS)は、われわれの進化の遺産であると考えられる。われわれは、祖先が直面した環境で十分に役立ってきた、それ故に淘汰のスクリーニングを乗り越えてわれわれにもたらされた、自律的なシステム(TASS)を備えている。それは気が遠くなるほど長い進化の過程で最適化されてきた、強力かつローコストな認知メカニズムである。われわれにとって自然な反応、たとえば家族や仲間を大切にする、よそ者を警戒する、といった反応は、改めて熟考する必要なく働くもので、自律的なシステム(TASS)に基づく。熱帯で感染症の多い地域ほど、よそ者警戒の反応は強く出ることから、感染症に対抗する行動免疫であると考えられている。

 しかし、われわれの先祖が体験してこなかった、新しい環境を作り上げてきた現代社会では、こうした直感的な反応は私たちを「失敗」させることがある。「よそ者警戒」という行動免疫は、われわれが小規模なコミュニティの中で生活が完結していた環境では確かに有効であったかもしれない。しかし、見ず知らずの人達と繋がり合うことで成り立っている現代社会では、様々な問題をもたらす。たとえば「よそ者警戒」は感染者やその疑いのあるものに対する差別の温床となる。感染症に対して医療的対処法が開発された現代社会では、感染症に関わる差別はむしろ、様々なレベルで受診を抑制し、かえって感染症に勢いを与えかねない。

 こうした分析を行うこと、そして分析を受け入れ、行動を変えるためには、自律的なシステム(TASS)ではなく分析的なシステムを活用する必要がある。医療体制に基づく社会的な感染症対策は理屈で考えないと理解できないし、「よそ者警戒」が「自然」な反応であるならば、理屈による理解を優先して「自然」な反応を抑制する必要もある。

 しかし分析的なシステムは、最終的な解決ではない。それは確かに合理性と自己修正能力を与えてくれるが、認知的なバイアスは、最も注意深い熟考にも忍び込む可能性がある。われわれは、感情や社会的影響、精神的近道によってあまりにも簡単に揺さぶられてしまう。

 しばしば楽観的に考えられるようには、理性は感情にもバイアスにも簡単に勝つことはできない。知能が高い人たちもしばしば非合理的な行動を選択する。重要な地位にある人々でさえ、非合理的な信念を持ち、重大な局面で非合理的に行動する可能性がある。ニュースは今日もそうした人間の愚行をたくさん伝えてくれる。

 私たちの心は、われわれが信じてきたほどには合理的ではない。様々なバイアスを克服するためには、自身の非合理性に対する自覚と認識、それに抗う方法と努力が必要となる。

「進化の支配」は完全か?

 矛盾や齟齬は、現代社会がもたらす状況と、われわれの祖先が慣れ親しんでいた環境との間にだけあるのではない。ここで検討するのは、そもそも個人として目指すものと、生き物としての「目標」とが一致しない可能性だ。スタノヴィッチは、2つの合理性について取り上げる。「道具的合理性」が個人の目的の達成を指すのに対して、「進化的合理性」は遺伝子の複製の成功を指すものだが、両者が一致しない場合があると指摘する。

 ヒトは他の生物と同じく、神の被造物ではなく、進化の産物である。その見た目はもちろん行動や思考の傾向まで、進化の刻印を受けないものはない。
 しかし進化の支配は完全なものではない。

 たとえば遺伝子の複製のためには繁殖が最も重要だが、繁殖ができない年齢になっても多くの人は生き続ける。この老いの問題はかつては取り扱い困難なものとされていた。集団遺伝学的に考えると、若く健康な個体から資源を奪うことは種の存続にとって「有害」であるため自然淘汰の力は高齢個体を排除するように働くと考えられたからだ。しかしその後、「自然淘汰が個体に働く力は加齢とともに弱くなる」という考え方が受け入れられるようになった。繁殖までは適応的な遺伝子を残すために自然淘汰が強く働くとしても、繁殖を終えた個体についてはそうではない、と考えられるからだ。つまり進化は「余生」にはあまり関与しない。これは必ずしも良い話ではない。たとえば加齢とともに個体にマイナスを及ぼす遺伝子(たとえば中年以降に発症する疾患に関係する遺伝子)は、自然淘汰によって取り除かれにくい、ということでもあるからだ。

 しかし、ここからは別の教訓も引き出せる。「余生」が進化から相対的に自由であることは、われわれの進化についての認識が深まることで発見された。ダーウィンが着手した進化についての知は、伝統的な概念や考え方に強力な変更を求める力となった。人間は世界の主役ではなく、遺伝子によって自己増殖のために作られた「生存機械(サバイバルマシン)」あるいは「ロボット」にすぎない、という考えもそうした変更のひとつだ。しかしどのような「ロボット」であるかを更に深く知ることで、遺伝子の支配は完全ではなく、そこには「余地」があることが分かる。そしてわれわれの知を進め、その「余地」を発見させたのは、古い自律的なシステム(TASS)とは異なるもう一つ、分析的なシステムと、それを働かせた知的営為の積み重ねに他ならない。

 これこそが、本書のテーマ「ロボットの反逆」を可能にするヒトの武器だ。

認識することによる自由

 私たちヒトは、他の生物と同様、長い進化の歴史の産物であり、その心も例外ではない。その結果、真実の追求や最適な意思決定を必ずしも優先しないように形作られている。

 その事実を認識することは、事実を運命として受け入れることではない。むしろ逆に、自由になるためには、われわれを不自由にする制約や必然性を認識することが不可欠である。

 たとえばスピノザは、世界のすべての出来事は必然的に生起しており、偶然は存在しない、と主張する。加えて人間の自由意志は幻想であり、人間の行動も必然によって決定されていることを承認する。そのうえでスピノザが提示する、ヒトが自由になるための条件とは次のようなものだった。必然性を理性的に認識することで、受動的な感情から解放され、真の自由を得ることができる。

 この議論は、たとえばヘーゲルを参照したエンゲルスの言葉の「自由とは必然性の認識である」にも引き継がれる。ヘーゲルにとっても、必然性を認識し、それを自らのものとすることが、ヒトが自由になる道に他ならない。

 スタノヴィッチの提示する「ロボットの反逆」は、これら世界や人のあり方を深く考えてきた人たちがたどり着いた伝統的な解決と呼応するものでもあり、その最新バージョンでもある。すなわち、人類がこれまで積み重ねてきた理性と科学のツールを駆使し、人間の不合理な傾向の進化的ルーツに光を当てることで、より明確に考え、より良い決断を下すための戦略を開発するための出発点を提供してくれる。進化の影響や限界を理解することで、それを超越し始めることができる。直感的な判断を疑い、批判的な自己反省を行い、最も重要なときに分析的システムの思考力を活用することを学ぶことができる。二重過程説は、スタノヴィッチが提唱するような認知的反抗、つまり進化的プログラミングに支配されることを拒否し、個人的・集団的繁栄のためのツールとして理性を用いることにコミットするための基盤を提供する。

 自由とは、制約から解き放たれることではない。少なくともヒトが生き物であり、進化の産物である以上、つまり今ここの状況、自然環境はもとより人工的な環境に反応してしまうようにできている以上、そうした「解放」はファンタジーの中にしか存在しない。

 ヒトの自由はむしろ、制約に向かい合った先に、完全には程遠くとも理解できた分だけ、「余地」として開かれるのだ。スタノヴィッチが本書で詳解する「ロボットの反逆」は、認知的反抗なのである。

 今日では、2008年の旧訳刊行時と比べて、本書を理解する環境は整っていると言えるかもしれない。2012年には『ファスト&スロー』が二重過程説(二重プロセス理論)を取り上げベストセラーとなり、2010年代には行動経済学、進化心理学についての普及が進んだ。2020年代には人工知能と自然知能についてのわれわれの理解を塗り替えるような技術が次々登場し、最も人間らしい領域とされてきたクリエイティブの分野でヒトの独占が突き崩されている。

 われわれはかつてないほどヒトの限界と制約を突きつけられている。

 人間の非合理性とその進化的な起源について、今後ますます広く共有されるだろう探究の先駆となった本書は、人間に比する知性の出現が予感される現在、改めて検討されることを待っている。

読書猿(どくしょざる)
独学者、『独学大全』著者
昼間は組織人として働きながら、ブログ、書籍の執筆を行う。良書にもかかわらず埋もれている書籍の復刊がライフワークで、本書の復刊にも深く関わる。