その中でもYouTubeは特にこの傾向が顕著だ。まず自分が見た動画と類似傾向のある動画がサジェストされやすい。また、XなどのテキストをメインとするSNSは支持者だけではなく「アンチ」からのコメントも寄せられやすいが、YouTubeの場合はアンチコメントが割合として少ない傾向があるように感じる。

 これは動画を見るのにはそれなりに時間がかかるため、嫌いな配信者の動画をわざわざ見てコメントする人が少ないためかもしれないし、自分のタイムラインに他の人の投稿が流れてくるXなどと違い、YouTubeは他人の部屋に赴いている感覚になるからかもしれない。心理的に、自分のホームではないアウェイの場所では批判コメントを残しづらい。

 それなりに登録者数が多い配信者だと毎回見ている常連からのコメントも多く、そうなると余計にアンチコメントを残しづらくなる。

 発信者からしてみれば、世間からの逆風は強くても、いったん自分のYouTubeチャンネルに帰れば温かいコメントばかりが並ぶ。これほど居心地の良い場所はないだろう。

ネット上でのバトルが
視聴者を集めて拡散される

 政治家がYouTubeを含む動画メディア(あるいはSNS)を使うことにはもちろんメリットもある。それは露出を増やし、単純接触効果で好感度を上げることであったり、コメント欄での反応を見て、支持者に合わせた発信を最適化していけることであったりする。

 しかしインターネットにおける情報発信の常は、過激であるほど耳目を集めやすいことだ。再生回数やコメント数で反響が明確になることから、情報発信が一度過激になると歯止めが効かなくなる。

 「過激」と書いたが、もっと具体的に言えば、対立軸を明確にして「敵」と闘うスタンスの方が再生回数が回ってしまうし、拡散もされやすい。ネット上でのバトルを観戦したい人の心理によって対立は激化し分断が深まっていく。

 そこではもはや対話の試みは成立しない。なぜなら、対話による歩み寄りや譲歩は、見る人を興奮させないからである。お気に入りのインフルエンサーや政治家が誰かと対立関係となったとき、視聴者は事実関係の把握よりも自分のもとから持っている感情を優先させてしまいやすい。

 しかし指し示されている敵は、本当に闘うべき相手なのか。無駄な対立を煽られていないか。

 倒すべき相手がいて、仲間たちと共闘できる。誰かを論破して悦にいる。集団で個人を叩く。そのアドレナリンが出る状態を利用されていないか。現代に生きる人すべてが自制心を試されている。