4日間の催しが終わった後、地元の新聞に「今年の漫画サロンにコスプレで参加した人が1000人を超え、主宰者はギネスブックへの申請を検討している」という記事が載った。首都ではない1都市の催しで世界一の記録が出るとは……。

4年間の辛抱で
ラーメン屋を開業した青年

 ありきたりの日本食ブームでなく、それを広くて深い潮流に変えた人びとの中には、日本の若い人たちがいる。頼もしいなと感心する。

 ヒロ君は日本の大手運輸会社に就職し、東京で働いていたが、2008年の暮れに退職してバルセロナへやってきた。26歳だった。ずっと「東京は自分に合わない」と感じていた。自分の好きなラーメンを外国でつくろうと考えた。

 バルセロナを選んだのは「スペイン語が上達すれば働き口はある」「海のそばに住みたい」という理由による。学生ビザは取得していたが、手持ちの資金は100万円しかなかった。

 仕事を探して最初に訪れた和食レストラン「天ぷら屋」で自分の夢を話し、すぐに採用された。学生ビザで就労するには雇用主が面倒な手続きをする必要があるが、その手続きもしてもらって労働契約を結んだ。働きながらラーメンの研究を続け、店のまかない料理に出して仕事仲間の感想を聞いた。

 やがて、店長から土曜日の昼だけお客に出してもよいと許可をもらった。「今日はラーメンがありますよ」と声をかけて希望する客に出す「裏メニュー」だ。お客の声を聞いて、さらに自分が求める味を追求した。

 スペインでは学生ビザで3年間滞在すると一般の労働居住許可に変更できる。さらに1年滞在すると自営業の登録ができる。4年間の努力が実ってラーメン屋を開く日が近づいた。

バルセロナ初の
日本人による本格的なラーメン店

 店にする物件は、店長の奥さんが見つけてくれた。中心部の地下鉄の駅から徒歩3分の場所にあり、以前はバルだった。スペインでは、前の経営者から営業許可を買い取って飲食店を開く方法がある。「トラスパソ」と呼ばれるこの権利は3万ユーロ(約400万円)、家賃は月額900ユーロ(約12万円)だった。相場よりもかなり安い。