ヒロ君は日本から中古の製麺機を輸入し、倉庫に保管してあった。ラーメンの縮れ麺に合う小麦粉をいくつか選び、ブレンド比率も決めていた。サイドメニューは餃子と冷ややっこ。餃子づくりはヒロ君を応援してきた別の和食レストランのマネージャーがボランティアで引き受け、毎日届けてくれることになった。豆腐は私の店から仕入れた。
バルセロナには麺類を出す中華料理店はあったが、日本人がつくる本格的なラーメン屋の第1号である。「ラーメン屋ヒロ」が開業した日、オープン前から行列ができた。客のほとんどがスペインの人で、若い世代が目立った。
助手や配膳係として従業員を雇ったが、ラーメンをつくるのも仕込みも自分1人だけ。睡眠時間を削る日が続いた。開店から2週間ほど経ったころ、豆腐を仕入れに来て「今朝、まな板に突っ伏したまま寝てしまいました」と照れ笑いした。私はビタミン剤を瓶ごと渡した。

豆腐を注文しても引き取りに来られないことが何度かあった。カミさんは店のレジを閉めた後、「私が届けてくる」と言って配達した。帰りが遅いなと思ったら、「カウンターの空いた席に座らせてくれたからラーメンを食べてきた」という。満足げな顔だった。
ヒロ君の成功を見て、ドイツの中華料理店がラーメンのチェーン店を開き、目抜き通りに英国資本の高級店ができるなど、開店ラッシュが続いた。日本人がつくる本格的な店も増えた。バルセロナだけで20店を超えるだろう。それでもヒロ君の店はいまも行列ができる。