冷静になって周りを見渡し
自分の「とらわれ」に気づく

香山 私の場合は、もともと医者だから、医者の延長で僻地医療に携わったわけで、そこまで人生が変わったわけじゃありません。先ほど、人にありがとうと言ってもらえる人生を歩みたいとおっしゃっていたけど、今度は人さまの役に立つという思いを持ったときに、いろんな選択肢、可能性がある方だったと思うんですけど、そのなかであえて今の道を選ばれたのは、やはりインドに行って、佐々井秀嶺上人(編集部注/インド仏教最高指導者)に出会われたことが大きかったんですか。

 皆さん、「自分を変えたい、でもどの程度、どのタイミングで変えればよいかわからない」と悩んでらっしゃるのではないかと思うんですよ。

小野 はい。もう、有り難いご縁としか表現ができないくらい、たいへんに大きなものでした。自分にとっては、いわば生命を救っていただいた。さらには、新たな生き方の道しるべを示していただいた。ですので、小さき存在ながらも、ただただその恩返しをしたいなと。そう感じるご縁だったと感じております。

香山 違う出会いをしたら違う選択肢もあった、と考えてよいのでしょうか。

小野 もちろん、ほかの選択肢だってあったかもしれません。間接的な要因としての縁は無数にあるものですので。もしかしたら別の宗教だったり、社会活動だったりしたかもしれません。ただ、自分の場合は、自分のつかんだご縁が、結果としてこのような選択につながったと感じております。

書影『捨てる生き方』『捨てる生き方』(集英社)
小野龍光、香山リカ 著

香山 龍光さんが体験として培われたさまざまな場面で、気づきを促すきっかけがあったということですよね。自然災害にたとえるのは問題かもしれませんが、マグマが少しずつたまって、ついにあるきっかけで火山が噴火した、というような。マグマがたまりつつあるときは、外からは、あるいは自分でもそうと気づきませんよね。

 自分のなかで苦しいな、つらいなという気持ちが嵩んでいったときに、ふと冷静になって世の中を見渡してみたり、自然のなかに身を置いてみたり、ふだんしていないことで汗をかいてみるとか、龍光さん流に言うと、そういう縁を意識してつくってみるのもいいかもしれませんね。心理療法なんて受けなくても、ふとしたことで、あれ、なんで私はこんなつまらないことにとらわれていたんだろう……と、案外シンプルに気づくこともあるかもしれない。

 もちろん、おっしゃるように万人に通用する方法なんてあるわけないんですが、とらわれから離れるきっかけは見つかるかもしれません。