小野 世間一般の価値基準を追いかけたら自分が幸せと感じられるなら別ですが、人それぞれですし、結局は、自身が幸せを実感できる自分なりの価値観を育て、それに沿って生きるのが大切ではないでしょうか。未練がないというより、自分にとっては、たとえばお金や肩書きがあるほうが幸せだという価値観では幸せ感が生まれなかったことがわかった、という感じです。自分がすべての未練を流し去ったのかどうかはわかりませんが、世間からの価値基準ではなく、自身が幸せと実感できて信じられる価値観を信じて進もうとしていることは確かだと思います。

IT社長時代に抱えていた
耐え難い苦しみと葛藤

香山 ちょっと意地悪な質問になりますが、ときどき「IT社長だったころに戻りたいな」と思うことはないんですか。私はありますよ。当直で夜中に呼ばれて、零下20℃のなかを宿舎から診療所に行くとき、「あぁ、東京の大学教授のほうがよかったかな」とか(笑)。

小野 まったくないですね。あの時代が別に悪しきものだったとは思っていないですけど、ビジネスで名声を得ることに憧れを持っていた時代の自分がやっていたことは、いかにほかの人の顔を踏みつけて上に上がるかという行為もはらんでいたわけです。

 たとえば、ライバルがいればそれを撃ち落として抜かしてやりたい、といったように。繰り返しではありますが、そういった競争は時に進歩を生むわけですが、これだけ企業が増えて似たようなサービスもあふれる時代において、そこまで互いに肘を張り合ってまで争うのは、正しい姿なのか。結局は誰かを蹴落として、誰かを下敷きにするということをしてまでのし上がろうとしているのでは。それは僕がやりたかったことではなかったんですね。

 それは、何でしょう、青臭いと言われるかもしれませんが、やっぱり人さまにありがとうと言ってもらえる人生を歩みたいと思った。

 にもかかわらず、他人の顔を踏みつけてまで数字を取りにいくんだ、シェアを取りにいくんだ、それがビジネスの正義なんだという道を、周囲を巻き込んで進む生き方は、自分にとっては、自己矛盾に気づきながらも自分に嘘をつき続ける、自分を消し去りたくもなるほど苦しいものであったというのが本音なのです。ですので、あの状態に戻りたいかと言われると、それは心から避けたいというのが今の気持ちです。