香山 そうですか。それはすごい。
小野 はい。ですので、本当に心の底から今の状態が選択できてよかったと感じています。
香山 でもそういう世界観を捨てるまでに、20年以上の時間は必要だったわけですね。
小野 そうなんですが、20年間ずっとそんな十字架を背負ってきたわけではなく、背負わなかった時代から徐々に、まるで自身の内臓が許せないような、何か内なるモヤモヤが膨らんできて、これはいったい何なんだと、苦しみが膨らんでいったという感じです。
自分の中で世の中への疑念が
少しずつ膨らみつづけていた
香山 そうした自分のなかのとらわれに気づく大きなきっかけが何かあったんですか。
小野 リーマンショックで、それまで経済成長だと喜ばれていた中身が、実はハリボテのような膨張、膨張の積み重ねで、さらには格差を生み出していたという金融市場の実態が明らかにされたと思うのですが、その実態を知るほどに、これは何かおかしいぞと感じ始めました。でもリーマンショックで凹んでも、それでもまだ、金融市場は膨張をし続けていく。
そこに突如3.11の東日本大震災が起こった。科学技術が進歩し、どれだけ世の経済指標が拡大しようが、人類は自然の前でいかに無力なのか、本当にちっぽけであるのかという事実を知らしめられたのです。経済や技術の発展からの驕りで、人は自然を軽視しすぎていたのではないのか。もう少し人間の自然界での位置づけを謙虚に見つめ直すべきではないか。いろいろな葛藤が生まれたのです。
おそらく皆さんのなかでも何かしらの変化があったのではと思うんですが、社会全体の価値観においても、何かの変化が起きてもおかしくなかった出来事だったように思います。でも、また気がつけば、どんどん物をつくって、どんどん消費を促し、数字を膨らまし、人間のさらなる欲求を満たすために自然を損なう姿の世界に戻っている。
自分のなかでの自己矛盾に苦しんでいたところに、社会全体の仕組みも、なんだか同じような矛盾をはらんだまま、止まらない暴走列車のように世界は進んでしまっているような感覚が生まれ、勝手に絶望感を深めていった……。長くなりましたが、そんなふうに変化をしていきました。
香山 なるほど。これまた同じような話で恐縮なのですが、どうしても気になるのでもう一度、確認させてください。そういうふうに気づかれた龍光さんが、たとえばですけど、その言語能力の高さや、分析する能力を使って、政治家や社会活動家、あるいは作家になって、社会の気づきを促して変えようという道もあったと思うんですよね。