深夜のトイレで勉強した少年が
「慶應大で教鞭をとる」を実現
さて、それでもやはり当然ながらこの現実にはマイナスもあります。筆者は、世論に影響を与える小説家や、経営という人間の人生の根幹にかかわる営為について語れる経営学者といった、オピニオンリーダー的な職業を幼少期から意識していました。
しかし、中卒で働いた後にオピニオンリーダーを目指すにも、「日本社会では一定の学歴・経歴がないと話をきいてもらえない」というマイナスが付きまといます。
なお、小説家には学歴は必要ありません。ただ、オピニオンリーダー的な小説家ということになると、やはり芥川賞・直木賞をはじめとする賞歴はほとんど必須でしょう。
そこで筆者はいくつかの「次の一手」を考えました。「文章の勉強をして、学歴・経歴に関係なく読ませる文章を書けるようになる」「しゃべりの勉強をして、自分の話を面白く聞いてもらう技術を身に付ける」「自衛隊の宿舎において、みんなが寝てしまった後に、深夜まで電気がつくトイレで受験勉強をする」という手です。
3つも頑張ってみれば1個くらいはなんとかなるだろう、という公算でした。
文章では、村上春樹さんが受賞した群像新人文学賞から独立した評論部門で最終候補作となったり、いくつかの地方文学賞の候補になったりしたくらいで、文壇デビューはできずじまいでした。
しゃべりのほうも、古今亭志朝さん、明石家さんまさん、松本人志さん、島田紳助さんの動画を何度もリピートしてノートに書き出して話術の構造を学んでみましたが、「なんで佐賀出身なのに関西のノリなの?(※古今亭志ん朝さんだけは江戸っ子です)」と周囲に言われて終わりました。
3つのうち2つは挫折したわけです。最後の1個として、筆者は周囲に「俺は30歳には慶應義塾大学の(准)教授になって富裕層の子息を教育しているはずだ」と宣言して、あきれられていました。しかし、3つめはほぼ宣言通りに達成できました。