あちこちでいろいろなケチをつけられた。でも、つけられればつけられるほど、自分としてはファイトがわいてくる。僕はそういう反発をエネルギーに変換していたな。そうやって、プロ化へと突き進んでいったわけだ。

本に書いてあるわけじゃないからね
全部教えてもらった欧州視察

 でも、何からどういうふうに手をつけていいのか、さっぱりわからなかった。

川淵三郎氏川淵三郎(かわぶち さぶろう)
日本トップリーグ連携機構会長

1936年12月3日大阪府生まれ。大阪府立三国丘高校でサッカーを始め、早稲田大学、古河電工サッカー部でプレー。1964年の東京オリンピックは日本代表として出場。1980年~81年に日本代表監督。1991年にJリーグ初代チェアマンに就任し、「日本サッカーの強化」と「地域スポーツの振興」に力を注ぐ。2002FIFAワールドカップの日本招致と開催成功に尽力。2015年、日本バスケットボール協会会長に就任し、2016年のBリーグ開幕にも牽引した。就任2023年文化勲章受章。

 当時、アジアではマレーシアがセミプロみたいなMリーグっていうのを持っていて、それなりに人気を集めていたから、勉強に行ったよ。マレーシア協会のポール・モニー専務理事といろいろ話して、現状を聞いた。

 それからヨーロッパにも行って、各トップリーグから二部、三部のところまで視察した。クラマー(デットマール・クラマー氏、1960年、東京オリンピックに向けて招聘したドイツ人指導者)さんの紹介で、当時、レーバークーゼン(ブンデスリーガ)のGMを務めていたライナー・カルムント氏に指導を仰ぎ、選手の年俸の決め方とか、契約の仕方、その他を全部教えてもらった。事前の勉強は相当やったね。