唯一、居場所と呼べるコミュニティから、犯罪への誘いがあることもあるだろう。

 そう思えば、自分が犯罪に関わらずに済んだのは、ある意味、運が良かったからではないかと思ったのだ。

 もちろん、もし都市部で育っても犯罪には関わらなかっただろう、とも思うが、それはあくまで仮定にすぎない。犯罪に関わらなかった人たちが言う「自分なら同じ境遇でもやらなかった」はどこまでも仮定の話なのだ。

 極度の空腹、家族の借金、病気のあるきょうだい……そんな中、どうしても、お金が必要になったら?

 残念ながら、そういうときのセーフティネットは充実しているとは言えない。追い詰められた人が適切な支援につながり、正しい情報にアクセスできるとは限らない。そんな人を食い物にする犯罪者がいるのだろう。少なくとも、貧困を背景に犯罪に関わった人を断罪し、切り捨てるだけでは、犯罪は減らないだろう。

「普通」に生きられなかった人に
対する想像力を

 この問題に限らず、「自分には想像も及ばない境遇の人がいる」という想像力は必要だ。

「貧困でも大学に行って、いいところに就職した人はいる」「病気や障害があっても前向きに生きている人がいる」そうやって人は条件を簡単にひとまとめにするが、貧困と言っても無限に幅があるし、病気や障害だって重さや症状も1人ひとり違う。

 家族がいるのか、いたとして話が通じるか、暴力を振るってこないか、精神的に支配してこないか。周りに話せる人はいるのか、頼れる大人はいるのか。人間関係は築けるのか、落ち着いて就労できるのか、安定した住居はあるのか。細かく言えば無数にあるその条件の、複合的要素によって、人の人生はいかようにも変わる。

 もしかしたら、犯罪に関わらずに生きてこられたのも、経済的にある程度安定し、人間関係に困らなかったからかもしれない。たまたま犯罪者と接点がなかったからかもしれない。

 捕まった人たちの口からは、「お金に困っていた」「稼げると聞いた」そんな言葉が出てくる。彼らが困窮したとき、声をかける人がいれば。支援につながることができれば。もしかしたら違った人生があったのかもしれない。