小学校のクラブ活動や運動会の経験
スポーツでの葛藤も「読解」に通じる
例えば、小学校のクラブ活動や運動会の経験、スポーツでの葛藤といったことが、物語の読解にもつながることがあります。理科や社会の勉強をすることで環境問題についての理解が深まったりします。そういう形で確実に国語力は上がっていても、目先のテストに反映されないから見えにくいというだけなんです。
富永:国語の授業や本を読むこと以外でも培われるということですね。
渋田:その通りです。例えば子どもと話していて「こんなことをよく知っているな」と感じることがあれば、それも国語力の一部と考えるべきです。今の子どもたちが触れるコンテンツとしては、漫画、特に学習漫画は素晴らしいですし、映画などを見るのも効果的です。
必ずしも本の中だけで完結させる必要はないのです。言葉に触れる機会、素敵な小説の一部、一つのセリフに触れるだけでも意味があります。
富永:以前に比べると、子どもたちの読書量は減っているという印象がありますが、その点はいかがでしょう。
渋田:確かに昔の方が本に触れる機会が多かったですし、映像ではなく本から入る子が多かった。娯楽が少なかったので、暇だから本を読むということもありました。また、大人がちゃんと子どもと話す時間も今より多かったと思います。
その結果、国語力が高かったということはあるかもしれません。昔は子どもでも『ソフィーの世界』のような哲学的な本を読む子もいたり、よしもとばななを読んだり、大人が読む本との境界線もあまりなかった。
小説のジャンルとして、若者の内面的な成長を描いたビルドゥングス・ロマン(教養小説)という形式があります。
ドイツ由来で、世界中の文学に、この形式が用いられた名作がたくさんありますが、日本の古い小説なら、夏目漱石の『三四郎』や森鴎外の『青年』、最近では宮﨑駿監督の作品のタイトルとして話題になった、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』などが典型的なものです。最近の中高生も読みやすい小説としては、梨木香歩の『西の魔女が死んだ』や辻村深月『かがみの孤城』などが相当するでしょう。
また、小説ではなくても「伝記」などは、「失敗は過程であって人生のゴールではない」「伝記の主人公は、すべからく困難を克服して夢を成し遂げた人である」ということがストレートに腑に落ちる小学生時代にこそ触れておく意義が大きいと思っています。
古い漫画なら、井上雄彦の『SLAM DUNK』、あだち充『タッチ』にもそういう要素があるでしょう。こういったタイプの成長譚を読むのはとてもいいと思いますね。