これらのラインはそれぞれ別のデザイナーが手掛ける形になっていることで、川久保氏以外のデザイナーの個性が表に出やすくなっています。

 渡辺淳弥、栗原たお、二宮啓…。根強いファンの多いデザイナーばかりです。

 意外と見落とされがちですが、こういったブランドの展開や見せ方の上手さも、ギャルソンの素晴らしい部分なんですよね。

 またアバンギャルドなデザインに隠れがちですが、ギャルソンの縫製やクオリティは非常に高いです。

 僕自身、仕事柄よく工場にお邪魔していたのですが、「コム・デ・ギャルソンの仕事を受け持った」ということは、ある種の箔になる部分がありました。

「ギャルソンをやっているくらいだから大丈夫だろう」と、それだけで信用してもらえるんです(笑)。

「装苑賞」と「遠藤賞」を
受賞した山本耀司

 1981年。コム・デ・ギャルソンがパリ・コレクションでデビューしたのと同じ年に、もうひとつ重要なブランドが世に出ることになりました。

 山本耀司率いる「ヨウジヤマモト」です。

 山本耀司は1943年10月3日、東京都新宿生まれ。父である文雄は総菜を卸す会社を経営していたそうですが、1944年の8月に戦争へ徴兵され、戦死されてしまいます。彼は当時まだ1歳。父親のことは、写真でしか知らないそうです。

 父が戦死した後、母・富美は服飾の学校である文化服装学院へ入学し、洋裁を学びます。戦後、生きるために洋裁の技術が必要だった時代ですね。富美はその後、「フミ洋装店」というお店を開きました。

 耀司氏は高校を卒業後、慶應義塾大学の法学部へ入学します。学部は違いますが、川久保玲と同じ慶應です。年齢は2つ違いですね。その後彼は、自らの母と同じ文化服装学院へと入学します。当時は花嫁修業として入学する人も多かったそうで、1万人ほどいた全生徒のうち、男子生徒はたったの100人ほどでした。

 卒業年である1969年、山本耀司は「装苑賞」と「遠藤賞」という服飾関係の賞を2つ受賞しました。中でも装苑賞は格の高いコンテストで、歴代受賞者にはDCブームを牽引したコシノジュンコや山本寛斎、そして高田賢三らがいます。

 その後、彼は遠藤賞の副賞であるパリ往復券を使用し1年程パリへ渡航するのですが、当時のパリは「プレタポルテ(編集部注/高級既製服)」の波が来ている時代。

 これは彼にとって、大きなカルチャーショックだったといいます。