「卵子凍結がもっと市民権を得た治療になったら、“産まない”ことを選択した人も、“産む”ことを選択した人に対しての見方も変わると思います。卵子凍結って、しなくても良いものを自分の意思でしている、いわばワガママのように捉えられているところがある。でも、そこに至る理由は様々でも、実際はものすごく切羽詰まった上での選択だったりする。生きるか死ぬかではないけれど、その人にとっては“今やらないといけない手術”であることや、どれだけの思いで、それをやり遂げようとしている人がいるのか、もっと知ってほしいと思うんです」

 その境地に至るまでには、さまざまな葛藤や苦労があった。

妊娠を考えて受診したところ
なんと子宮頸がんが発覚

「今後、出産も考えていらっしゃると思うので、なるべくリスクの低い方法で手術しましょう」

 34歳の時に、婦人科の医師から言われたこの一言が、初めて子どもを産むことについて考えるきっかけになった。

 やりたいことがたくさんあり、望むキャリアに向かって突き進んできた20~30代。35歳を目前にした時、ふと「私はこの先、子どもを産むことがあるのだろうか」という気持ちがよぎった。そんな時、卵巣予備能を測る「AMH検査」の存在を知る。自分が今後、子どもを持ちたいのかどうかは分からない。だがそもそも子どもを産む選択肢が残っているのかどうか、「35歳になる前に調べてみよう」と思った。検査の結果、婦人科の医師から「20代並みの値です」と言われ、「まだまだ産める身体なんだ」と、とても嬉しかった。

 その延長線で、ごく気軽な気持ちで子宮頸がん検査を受ける。そこで見つかったのが、子宮頸がんの一歩手前である「子宮頸部異形成」で、手術が必要な状態だった。手術に向けて医師が言ったのが、冒頭の言葉だった。

「20代並みのホルモン値って言われて、やったー!って舞い上がっていたのが一転、全身からサーッと血の気が引いて……。まさに急転直下って感じでした」