受精卵凍結をきっかけに
「母親になるスイッチ」が押された
想定より多い受精卵を保存できたことは、とても嬉しかった。パートナーも大喜びで自分の親に報告している姿を見ると、2人の子どもを持つという未来が、ぐっと近づいた気がした。これで将来産むための“担保”を持った状態で、当面は仕事に集中できる。これから少しずつ、子どもを持つための環境を整えていこう――。
ところがその後、思わぬ展開になっていく。気持ちのすれ違いが重なり、2人の間に深い溝が生まれていったのだ。前田さんは遠い目で振り返る。
「思えば私は、受精卵を凍結した段階で、意識が完全に出産にシフトしていたんです」
仕事への野心も持ち続けていたが、それと並行して、いや正直なところ、それ以上に。産休に入るならいつがベストか、どうやったら子どもを育てながら働けるかなど、産んで育てるための具体的なことについて考えている自分がいた。

ところが、パートナーはそうではなかった。以前にも増して、仕事に集中するようになり、すれ違うことが多くなったのだ。無論、受精卵凍結をした理由である「産む選択を先延ばしにできるから」という点を鑑みれば、彼の行動は目的に反しているわけではない。当初の理由から意識が変わったのは、前田さんの方だった。前田さんは、その理由について、こう呟いた。
「女の人にとって、採卵って、出産経験に近いのかもしれません。自分の子宮の中にあるもの(卵子)を、外に取り出して、自分の目で見る。その過程の中で、自分の中で、“母親になる”というスイッチが押されたような気がします」
身体に痛みや負担を感じながら、女性側の“命の種”となる卵子を取り出す採卵。出産の痛みや負担と比べれば、ほんの小さなことかもしれないが、「出産経験に近いのかもしれない」という言葉は、彼女の中で起こった変化の本質を表しているような気がした。