玉音放送の引き金がそこへ電撃を打ち込み、持つものすべてが化学反応を起こして、たちまち横溢した。まさに溢れる、としか言えぬほどにアイデアと行動力と侠気をほとばしらせた尾津は、この日を皮切りに奔馬のように新宿の街を走り出した。
終戦翌日の16日、まずは淀橋警察署を訪ねた。「貸し」をさらに積み上げるべく、焼け跡の整理を無償でやりますと申し出る。ここまでの貸しも貯まりましたね、今回はリターンをすぐいただきたいのです、と言わんばかりに要求したのはマーケット建設の内諾。
一も二もなくすぐさま認められた。これで動ける――。
現代になってよく勘違いされるのは、終戦直後は無政府状態で、無法者が勝手に闇市を作ったように捉えられがちなこと。戦中から下地ができていたところに、こうして当局の許可も得てから堂々とスタートしたのだった。全くの無許可では、白昼、首都最大規模の繁華街にマーケットなど建てられるはずはなかった。
マーケットを作ると決めた
尾津の行動は早かった
尾津は署長と話をつけると、ただちにマーケット建設資材の調達に動く。腰の軽い親分である。
淀橋警察署を出たその足で埼玉・鳩ヶ谷の籠・簀垂れ問屋の田中屋へ向かい、9尺2寸(約2.7メートル)のヨシズと竹竿を18日までに用意してもらう約束を取り付ける。
丸太も必要だ。それなりに保有してはいるが、ぜんぜん足りない。ハタと思いだした。「大久保の町会が陸軍技術本部から払い下げてもらっていた丸太があったな」。埼玉から新宿へ踵を返し、町会長のもとへ到着したときにはもう夜が更けていた。
会長は酒を飲んで酔っていて要領を得ない。会長夫人に副会長宅を教えられ向かうと、もう深夜。かまわず焼け跡に1軒きり焼け残った門柱を目標にして、1人ずいずいと歩いていく。
このとき尾津の心中は、興奮に満ちていただろう。
資本もコネもなくても、戦前のみならず戦中でさえ莫大な利益を出せるほどに商才を持っていた尾津。現代でいえばベンチャー企業の経営者のような位置づけになるだろうか。現状認識力に優れ、時代にあった事業計画を思いつけば、おのれを信じて即座に行動に移ることができる。伸るか反るか、勝負するひとときに言い知れぬ興奮を感じたはずだ。
自分の立てた計画にもとづいて自分を動かしていく喜び。他人が面倒に感じるようなことも、おのれの決めた工程をひとつずつクリアしていくのだと感じられれば、全く苦にならず、足は軽くなり、むしろ脳内に快楽物質も横溢する。