しばしば「人権」は「思いやり」ではないし、「やさしさ」の問題ではないといわれます。そしてこれはまったくもって正しいことです。

 なぜなら人権が「やさしい気持ち」と同列の問題にされてしまうと、もしあなたが人としての尊厳を台無しにされるような目に遭ったとき、あなた個人の尊厳の問題が、他人のやさしさや思いやりのさじ加減によって決められてしまうことになるからです。

「人権」はやさしくなれない
人間の発明品

稲垣論『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)
稲垣諭 著

「やさしいはつづかない」ものなのですから、そんなあやふやで、たよりないものに、自分の尊厳をあずけるわけにはいきません。

 ですから人権は、その名の通り公的な「権利」として法が誰に対しても認めるべきものなのであって、それを「やさしい気持ち」の問題にしてはいけないのです。

 人権というのは、やさしいがつづかない人間のために発明され、練り上げられた人間の知恵の結晶です。

 しかしこの知恵の結晶はいつでも、やさしいがつづかない人間によって軽視され、無視され、吹き飛ばされてしまう危うさをもちます。

 だから社会は、人権が損なわれている状況がないかを絶えずチェックして、それを護りつづける努力を継続しなければならないのです。