「ここはどん底やき」…薪鉄子(戸田恵子)が叫んだ“飢えと怒り”のド正論に、朝からぐうの音も出ない【あんぱん第76回レビュー】

“どん底”で
もうひとつの再会

 去り際、鉄子はのぶに自分の仕事を手伝わないかと声をかけていく。

 嵩はそこでのぶがまた遠くに行ってしまうのではないかという予感を覚えたようだ。

 嵩が鉄子のもとにいってしまうのではないかとやきもきしはじめた嵩の気持ちをつゆ知らず、のぶは闇市で飢餓に苦しむ子どもたちに胸を痛めている。相変わらず、ふたりの気持ちはすれ違っている。

 と、そのとき、子どもがのぶのカメラを奪って猛スピードで逃げていった。次郎の形見かつ高級品かつ仕事道具であるからのぶは全速力で追いかける。共に追いかけようとした嵩は転んでしまう。いかにも嵩らしい。

 のぶが角を曲がると、男(八木〈妻夫木聡〉)が子どもを捕まえて、優しく説教していた。八木は闇の酒を作るのはいいが、人のものを盗むのはいけないと子どもを諭す。八木の悪いことの基準は、人が不幸になることだ。闇の酒は欲しい人は喜び作る人は潤う。だが盗みは、盗まれた人も盗んだ人も幸せにならないという論法だ。

 八木はたくさんの戦災孤児たちにコッペパンを与え、小説『どん底』を読み聞かせる。『どん底』はロシアの文豪ゴーリキーの名作のひとつ。幼少期、貧困だった経験を踏まえて書いた作品で、木賃宿に集うどん詰まりの人々の善悪入り乱れた混沌を細密に描き記した群像劇。人間とは何なのかを問う物語だ。黒澤明監督が江戸時代の日本に置き換えて映画化もしている。

 単に食べ物を与えるだけでなく教育もしているというじつに理想的なふるまいである。盗みがなぜいけないかまだ「わからない」子どもたちに、時間をかけて考えさせようとしているのだ。

 鉄子が「ここはどん底やき」と言った場所で『どん底』を読み聞かせる八木のチョイス。あとから追いついて、八木に気づいた嵩は感心して見つめる。

 八木が読んでいる箇所は「この世に泥棒くらいえらい人間はいない」とさっき彼が言ったことと逆のことを言っている箇所である。そこだけ切り取ると、どういうこと? と思うが、『どん底』を読めば、どう生きるかについて逡巡している箇所だとわかる。生きるために泥棒をする人もいれば、働く人もいる。