中央省庁の幹部を電話一本で動かし
1億円の補助金の支払いを決めさせる剛腕
辻トシ子の影響力は政界にとどまらなかった。むしろその支配力は、永田町よりも、霞が関に強く作用していた。
綿貫民輔は、衆議院議長に就任した2000年の前後に、石川県の小松空港で、「大蔵省の局長がずらーっと飛行機に乗る」ところを目撃した。「何で皆で来ているのか」と局長らに聞くと、「辻トシ子さんのご招待で、1泊2日のゴルフ旅行なのだ」と答えたという。綿貫は「すごいばあさんだと思った。でも、飛行機が墜ちたら、(大蔵省の幹部が)全員潰れるじゃないかと僕は冷やかしてた」と話した。
辻トシ子が、顧問を務める企業のために中央省庁に一本電話すれば、経営者はすぐに事務次官や局長クラスと面談することができた。ある経営者によれば、「辻先生に相談したら、その場で役所に電話を掛けてくれた。数日後に1億3000万円以上の補助金をもらえることが決まった」と明かした。
岸田は辻トシ子について、「官僚、政治家の人脈の中で、潤滑油として、いろんな影響力を発揮した」と語った。彼女は大蔵省や通商産業省といった主要省庁の幹部らを影響下に置くことで、政界や財界を裏から操っていた(詳細は本特集の#11『「昭和の女帝」辻トシ子が大蔵省、通産省などの官僚を意のままに動かせた秘訣は?霞が関を掌握することで銀行、トヨタ、電力会社も影響下に』〈12月26日(金)配信予定〉参照)。
彼女の権力のそもそもの根源は、自民党の前身である日本自由党の結党資金を用立てた「政界最大の黒幕」辻嘉六を父に持っていることだ。結党資金の出所は、海軍のために中国大陸で戦略物資を調達する中で、巨額の利益を上げた児玉誉士夫だった。本特集では、本邦初公開となる辻嘉六の遺書などから、児玉との関係を明らかにする。嘉六の死後、辻トシ子はなぜ影響力を保持し、日本の政・官・財界を操り続けることができたのか。彼女の手帳や米公文書などを基に迫っていく。(敬称略)
Key Visual by Noriyo Shinoda













