「レアメタル」と呼ばれ、日本を支える高度技術の要となる希少元素。その機能を、鉄やアルミなどのありふれた元素で置き換え、日本を資源大国へと変貌させる「元素戦略」が、産官学が連携したオールジャパン体制で進められている。科学と産業に革命的なインパクトを与える「元素戦略」の全体像を、その立役者とも言われる中山智弘氏(科学技術振興機構 研究開発戦略センター・フェロー/エキスパート)に解説してもらった。

「箱根会議」がすべての原点

 「元素戦略」のすべての出発点は、2004年の「箱根会議」に遡る。「箱根会議」を主催したのはJST(科学技術振興機構)である。JSTは文部科学省が日本の科学技術の振興を目的に設立した独立行政法人であり、主な役割は優れた研究を行なっている科学者、研究者への研究資金の配分にある。日本学術振興会の科研費(かけんひ)が薄く広く分配される研究費(数十万~数百万円程度)であるのに対し、JSTでは日本のトップを行く研究に投資されることもあって、その一件あたりの支援額ははるかに大きい。

 2004年4月、JSTは日本のトップ科学者を招聘し、物理学者によるワークショップを軽井沢プリンスホテルで、化学者によるワークショップを箱根プリンスホテルで主催し、「将来の日本の研究開発をどのように進めるべきか」をテーマに合宿を行なった。私もJSTの一員として、後に「元素戦略」の出発点として特筆される箱根会議に出席していた。

 化学分野については、JST研究開発戦略センター上席フェローの村井眞二氏(現・奈良先端科学技術大学院大学特任教授)が京都大学の玉尾皓平氏(現・理化学研究所研究顧問、日本化学会会長)に声をかけ、「日本の化学全体を見通して、将来の研究開発をどのように進めるべきか」という大きなテーマで開催した(村井眞二氏の主宰、玉尾皓平氏が議長)。

 箱根会議では、無機化学、有機化学、高分子化学、バイオの4分野のセッションが立てられたが、そこに集った40人の科学者はいまをときめく精鋭ばかりであった。

 こうして箱根プリンスホテルで夜を徹して議論をし、そこで出てきたのが「元素の機能を最大限に発揮することで、夢の新材料を実現する」という方向性だった。当時、玉尾皓平氏が「元素科学」という考えを提唱していたこともあって、その「元素科学」の考えをさらに発展させる言葉として、中村栄一教授(セッションリーダーの一人、東京大学教授)が箱根会議の場で、次のように発表した。

『元素戦略』──

 聞いた瞬間、「お、いい言葉だ!」と直感した。一同、ほ~っという顔をしていた。