タテからヨコへ広がった「研究者の輪」

 「元素科学と元素戦略? その二つの言葉でどれほどの違いがあるというのか? あまり違わないのではないか」と思う人もいるかも知れない。しかし、「元素科学」の場合、元素を科学的に解明するということになり、科学者だけが研究をすればよいということになる。ところが、「戦略」という言葉を付けた以上、科学者だけでなく、産業界とのつながりが必須だ。化学以外のサイエンス、さらには金属、電機、自動車など産業界の人々との連携が求められる。

 しかし、分野の枠を超えて「ヨコのつながり」をつけていくということになると、誰かがその裏方的な仕事を引き受けなければならない。しかし、日本を代表する多忙な化学者たちが物理系の学会や産業界に自ら出向いて、「元素戦略への参加」をうながすことは不可能に近かった。

 「このままでは、せっかく箱根会議で盛り上がった『元素戦略』というアイデアも、時間とともに消えてしまう……」、そんな危機感をもとに、私も含めJSTの職員が手分けをし、物理、金属、自動車、鉄鋼などの学会、大学、研究所、企業を一つひとつ訪ねていっては「元素戦略」への協力を求めていった。

 協力を求めるにあたって役立ったのが、中村栄一教授による「元素戦略」というネーミングであった。「元素科学」という名前であれば、「化学の人だけで勝手にやってくれ」といわれただろう。箱根会議で「元素戦略」と決めたことが、これほど大きな意味をもつことになろうとは、訪ね歩くまでは思いもしなかった。

 「ありふれた元素から、希少な金属元素をつくり出す」という錬金術的な発想は化学の出発点ではあったが、現在、それを日常的な仕事としているのは、鉄鋼、金属、各種の部材(部品+材料の総称)などの産業である。それらの産業では日夜、「元素の割合をほんのわずかだけ変えてやることで、異次元の機能・性能」を劇的に引き出している。それが産業・企業の競争力に直接関わっている。とくに鉄関係では、どのような添加物を入れるか、その添加物の性質をどれだけうまく引き出せるかという、わずかな元素の「出し入れ」で、売上が数十億円、数百億円のオーダーで変わる製品がつくられる。まさに錬金術。その製造技術は門外不出である。

 「元素をどう扱うか」という問題は、金属、材料系の人にとってみれば、「自分たちのテリトリーの問題」という意識が非常に強いのである。

NIMSが「元素戦略」の輪を広げた

 もう一つ、「元素」という言葉が付いていたからこそ、つくばの「物質・材料研究機構(NIMS:National Institute for Materials Science)」の研究陣が積極的に取り組んでくれたといえる。

 現在、NIMSの中には「元素戦略材料研究センター」という組織があり、2007年には『元素戦略アウトルック』といった冊子(PDFでダウンロードできる)まで出している。そこには、元素の機能をどうやって引き出し、新しい機能をどうつくっていくかについてカテゴリー分けをし、多くのNIMSの研究者が執筆に参加している。その情報量たるや膨大だ。私たちの思惑を超えて、彼らは自らの判断で「元素戦略」を進めていったのだ。