教科書どおりに言えば、酒米の外側を50%以上磨いて造ります(米の外側にあるタンパク質や栄養価値が残ると、酒の風味を損ねるので、その部分を削ることを「精白」、酒に使う部分の比率を「精米歩合」で表します。削れば削るほど、澄み切った味になります)。品質からいうと、初めて完成した酒は何とも珍妙な、大吟醸とはいえそうにない味がしました。
 さっそく造った酒については、山口県の食品工業技術センターや、お隣の広島県国税局鑑定官室という酒の技術指導をするところにも意見を聞きに行きました。「この酒は、貯蔵しても良くなることはないだろう」と指摘され、そのころ流行り始めていた、熱殺菌しない「生酒」として売ることにしました。

話題先行でタンク3本分完売

 この「生酒」が山口県では当時2番目に出たことや、つぶれそうだと思われていた酒蔵が生酒を出したという話題性から、テレビ局や新聞社が面白がって取材にきました。そのお陰もあって、ひどい酒だったのですが、タンク3本分が売れてしまった。数字は上がっても、とてもみなさんに足を向けて寝られない思いでした。

 売り上げがたっても、眠れない日々が続くとは…。

 こんなことは長続きしない。
 もっと根本的なことから、変えなければいけない。

 初めての「変革」は、大きな気づきと、次なる決意をもたらしてくれました。

 「徹底的に『美味しい酒』を造ろう」
 それは、挑戦という名の、さらなる困難に足を踏み入れた瞬間でした。

 ところが、杜氏に「なんでうちの酒は、よその大吟醸みたいにならないの」と尋ねると、ここでもまた「とにかく、大吟醸造りは難しい」「とにかく大変だ」等々、わけのわからない返事が返ってきます。

 冒頭にも述べましたが、酒造りは一般的に、製造最高責任者である杜氏と、その下で働く蔵人たちの職人集団で行われ、オーナーかつ経営者である酒蔵は関わりません。杜氏は農家などによる完全な請負業で、仕込みは本業が暇な冬季に限定されるので、農閑期に入る雪国や山村からの出稼ぎ兼業が大半です。
 杜氏は地域ごとに集団をなしています。旭酒造に来てもらっていた杜氏は、大津杜氏といって、山口県長門市近郊の農家を中心とする杜氏集団に属し、そのころは若手の杜氏がいると評判でした。

 にもかかわらず、「美味しい酒」ができないのはなぜだろう。素朴な疑問にぶつかりました。