集団的自衛権行使に関して憲法解釈の変更を目指す安倍政権は、安保法制懇の報告書がまとまれば、自民党内や公明党との協議の上、閣議決定で憲法解釈を変更する構えだ。だが、安保法制懇が挙げる集団的自衛権に関わる「4類型」「5事例」を検証すると、あまりにも問題点、弊害、危険の検討がおろそかになっている。首相の私的諮問機関の報告が閣議決定され解釈変更が行われるのであれば、それは「法治国家」ではなく「人治国家」とのそしりを免れないだろう。

日本は「人治国家」になりかねない

 集団的自衛権行使に関して憲法解釈の変更を目指す安倍政権は、4月に安倍氏の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書がまとまれば、自民党内や公明党との協議の上、閣議決定で憲法解釈を変更する構えだ。2月20日の安倍首相の答弁によれば、国会での論議は閣議決定の後になる。

 だがこれまで同懇談会が公表した資料や、座長代理の北岡伸一氏(国際大学学長)の講演やインタビューで示された具体的行動の「4類型」「5事例」等には日米安保条約で全く想定されていない事項が多く、国際法に反する疑いがある項目まである。

 現行の日米安保条約は1960年1月19日に調印され、同年6月19日に国会の承認を得て、同月21日に批准された。日米の安全保障関係に根本的変更をもたらす「海外での武力行使」を容認するなら、単なる憲法9条の解釈の変更ではすまず、安全保障条約を改定し、改めて国会で批准の承認を得るのが筋ではないか、と考えられる。

 このように国の安危に関わる重大な事項が、法律上何の根拠もなく、首相が気に入った人物だけを集めた私的懇談会で討議され、首相が選んだ閣僚たちの閣議で決定されれば、日本は「人治国家」になりかねない。「人治国家」と揶揄される国々でも、権力者は一応裁判や法的に認められた権限の行使の外形を取りつつ、恣意的な行動を取るのが普通だ。一方「法治国家」でも政府首脳が政策の原案を考えるにあたっては、個人の判断や側近の意見が反映されるのは不可避で、要は濃淡の問題だろう。今回の集団的自衛権問題に関しては「人治主義」の濃度が高いと思わざるをえない。

 日米安全保障条約は共同防衛を定めた第5条で「各締約国(日、米)は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するよう行動することを宣言する」としている。日米両国の議会は、日本に対する攻撃が起きた場合のみに共同で対処する条約の批准を承認したのであり、「憲法上の規定及び手続きに従って」とあるのは、当時の憲法解釈で日本が自国防衛以外に武力行使はできないことを米国政府も議会も承知の上で論議し、批准したことを示している。