解釈主義の事例研究に必要な「整合性」と「納得感」

 定性研究は「質的調査」とも言います。これにはさまざまな研究手法が存在しますが、実務家の方でも想像しやすいように、ここでは事例研究(ケース・スタディ)に議論を絞ってお話したいと思います。

 まず、解釈主義の見地に立った事例研究とは、極端に単純化すると以下のようなものです。

「Aという会社が行っている斬新な経営手法Xは、私の調査の結果、α戦術とβ戦術を組み合わせたものだと解釈できたので、私は「αβ経営」と名づけたい」

 このとき、Aという会社が行っている経営手法Xが調査対象として選ばれた理由は、たとえば、それが斬新で議論するに足る経営手法であれば、それで選択の理由として十分です。つまり、その経営手法が本当に「α戦術とβ戦術を組み合わせたもの」なのかどうかは、当事者たちにも、調査した人間にもその主張に納得感があるならば、問題ではありません。

 また、「αβ経営である」という解釈なり主張も、当事者たちが納得できて、調査した人間がそう思っているのであれば、これも問題ではありません。つまり、おもしろい事例を取り上げて分析し、その結果としてなんらかの解釈を得ることができているのであれば、解釈主義に立脚した事例研究として十分成り立ち得るのです。

 その解釈がなんらかの既存の理論に基づいている必要はありません。また、既存の理論に対してなんらかの意味合いをもたらす必要もありません。その分析に論理的一貫性があり、わかりやすく、納得感があることです。その事例の分析により新しい含蓄や解釈がもたらされるかどうかが、肝になるかと思います。

 解釈主義的な立ち位置に立脚した優れた事例研究とは、これまでには知られていない、行われていない、最新の事例を取り扱い、それを論理的に、わかりやすく解釈している作品なのです。重要なのは、解釈をし続けることであり、社会において絶えず新しく生み出されていく原理原則を、一般に先駆けて分析し続け、その解釈を発信し続けることなのでしょう。

 人間の主観は人それぞれであり、社会に存在する複雑な事象も多様な解釈の余地を残します。その「解釈」が納得感のあるものであり、主張の論理的な整合性がとれているのであれば、それで価値あるものと見なすことができるのです。