半面、そんな豊かな社会に活躍したウォーホルは、こんな印象的な言葉も遺している。

「インタビュアーは前もって僕から聞きたいことを言ってくれればいい。僕はその通りに答えるよ」

「アンディ・ウォーホルについてすべてを知りたいなら、僕の絵と映画、僕の表面を見るだけでいい。そこに僕がいる。裏には何もない」

 皮肉なことに、彼がそう語るほど、作品よりも彼自身に注目が集まる結果となった。彼は「メディア社会を映す鏡」でもあったのだ。

インターネットの登場で
みなが「営業パーソン」になる時代

 大量に生産したモノを消費させるには、その存在を人々に知らせるメディアがいる。大量生産・大量消費社会はマスメディアの登場によって加速した。

 ウォーホルの時代、メディアと言えば新聞や雑誌、テレビだったが、今はもっと多様で複雑だ。インターネット上にあるブログもツイッターもFacebookも、個人的メディアであると同時に、公に対して開かれたシステムを持っている。

「誰に」「何を」「どう伝えるか」を考えるのはかつてマスコミの仕事だったが、今では誰もがそれを考えている。情報化社会を牽引しているのはマスメディアではなく、個人である。

 自分が何者で、何を考え、何をおもしろいと感じ、どんな生き方をしているか。多かれ少なかれ、私たちは何らかの方法で自分自身を表現し、売り込まなくてはならない。気に入ったニュースやつまらないニュースについてツイートするのも、その1つの手段だ。1人につき1つのメディアを持てる社会では、みなが「営業パーソン」である。

 ハーバード・ビジネス・スクールで学んだジャーナリスト、フィリップ・デルヴス・ブロートン氏は、『なぜハーバード・ビジネス・スクールでは営業を教えないのか?』(プレジデント社)という本の中で、営業についてこう書いている。

<僕らはみんな、いつも何かを売り込んでいる。(中略)自分が売り込む商品に100%の自信があればいいが、たいていは演じたり、大げさに伝えたり、真実を隠さなければならなかったりする。売り込み、説得し、奉仕する能力は、自分のアイデンティティーと切っても切り離せないものなのだ>