常識的判断を逸脱した
安倍首相の“憲法解釈”
安倍晋三首相は「解釈改憲による集団的自衛権の行使」に向かってアクセルをいっぱいに踏んだように見える。
それはおそらく自民党を行使容認でまとめる目途がついたからであろう。
実際、高村正彦副総裁が“限定容認論”なる詭弁を持ち出してから、奇妙にも党内慎重派の勢いは一気にしぼんでしまった。
それでは、これに公明党も渡りに船とばかり同調するのだろうか。
3日の自民党幹部との協議で公明党の山口那津男代表は、集団的自衛権行使の事例としている事態は「個別的自衛権などで対応できる」と強く反論したと言う。その通りである。
自民党はその与党協議の場で、「限定容認論」について、「日本の安全保障に直結する必要最小限の事態だけに集団的自衛権を行使すること」と説明している。だがその事例の大半が個別的自衛権の範囲内で対応できるのだから、公明党の主張を受け入れればよいはずである。
なぜ安倍政権は「集団的自衛権」に固執するのか。それは、この際集団的自衛権の全面的行使への突破口を開くことが一義的な目的だからだ。
最近になって自民党は、解釈改憲の理論的根拠として昭和34年の「砂川判決」を持ち出している。しかし、当時の時代背景を考えれば、最高裁が「集団的自衛権を含めた」自衛権を認めたという解釈は到底成り立たない。これこそ窮余の一策だ。常識的判断を逸脱した憲法解釈は厳に慎むべきである。