業務プロセス可視化法の原点は、約30年前のサムスン電子の改革時にあった。業務改革を推進していくうちに、短期間で「改善力」を身に付ける方法を開発。そして、ドラッカー博士のアドバイスがホワイトカラーの改善に拍車を掛けたのである。
1回目は、「コストは半分に、システム費用は1/10に! 面白いほど社員の動きが変わる5大ポイント」というテーマで、新刊『トヨタ式ホワイトカラーの業務改善 最少人数で最強組織をつくる』より、業務改善がなぜうまくいくのかを5つのポイントに絞って紹介した。2回目からは、本書の序章を分割して紹介している。なぜ、ホワイトカラーの改善に効果を発揮し、継続して活動できるのか、序章で紹介する歩みにその秘密は隠されている。
サムスン電子に必要だったこと「業務改革」
矢崎総業の工場改革と本社・営業改革に一区切りをつけた後、私は1986年に独立して、株式会社システム科学を設立した。当初は脳のメカニズムのソフト化や石油探査システムの開発を目的としていたが、あるとき、コンサルティング会社に勤める私の先輩から相談を受けてまったく別の仕事を行なうことになる。先輩が韓国のサムスン電子に数億円のシステムを納入したものの、稼働しないというトラブルがあり、その原因調査をすることになったのだ。
今でこそサムスンと言えば世界を代表するメーカーだが、当時はそれほど規模も大きくなく、あらゆる面でまだまだ発展途上にある企業だった。一九八七年、韓国のサムスン電子を訪れ、主力工場を見学してみて私は驚いた。生産管理や在庫管理の仕組みができていないに等しい状態だったのだ。生産量も不良品の発生率も管理する仕組みが見様見真似なため、そこに新たなシステムを導入しても、業務をさらに混乱させるだけだと考え、現場の整理と仕組みづくりを行ない、人が効率よく行動できるように提案した。
その結果、私はサムスン電子の業務改革に取り組むことになる。まず、かつて矢崎総業の業務改革でやったものを改良した「記録シート」を考案した。すると、それをサムスン電子の担当者がソフト化してくれたおかげで、業務の内容の把握精度が上がり、手作業を少なくすることができた。この協力によって、業務機能の体系、業務と作業の最小単位ができ、業務プロセスのチャート化と電子マニュアルができたことで「気づき」の領域が広がり「改善力」が短期間で身についた。
これが、私が今日まで四半世紀以上にわたって取り組んできたことの原点となった。