グローバリゼーションは
「神話」か「あるがままの現実」か
ギデンズによれば、グローバリゼーションに対して反対する「懐疑論者」と、グローバリゼーションを肯定し、推進する「ラディカルズ」が存在するといいます。
「懐疑論者」の見解はこのようなものです。
グローバル化した経済は、それ以前の経済と似ても似つかぬ代物ではない。長年にわたり築きあげられてきた世界のありようは、今後とも、そのままでありつづけるしかないだろう。/ほとんどの国の国民所得に占める貿易の比率はごくわずかでしかない。しかも、貿易の大半は域内にとどまっており、世界的というにはほど遠い状況にある。たとえば、欧州連合(EU)一五カ国の貿易は、おおむね域内にとどまっている。アジア太平洋経済協力(APEC)、北米自由貿易協定(NAFTA)など、他の貿易ブロックについても、同じことがいえる。(24ページ)
つまり、「グローバリゼーションなるものが、そのじつ、神話」にすぎないというわけです。
グローバリゼーションという世界観は、福祉国家の解体と財政支出の削減を企図する、市場主義者のイデオロギーにほかならない。現に起きたことはなにかといえば、それは一世紀前の世界への逆もどりにすぎない。十九世紀の後半、巨額の貿易、それも通貨による貿易が巨額にのぼる、自由なグローバル経済がすでに存在していたのだから、と。(25-26ページ)
一方、肯定する「ラディカルズ」の見解はこうです。
グローバリゼーションがあるがままの現実であるのは無論のこと、グローバリゼーションの所産というべきものが、いたるところに見出される。一九六〇年代、七〇年代に比べて、グローバルな市場経済は飛躍的に拡大・深化し、いまや国と国とを仕切る国境はないに等しくなった、とラディカルズはいう。(24ページ)
押しとどめることなど不可能だ、というわけです。
ギデンズは労働党のブレア政権の頭脳だったのですから、当然、反市場主義の大きな政府を指向する「懐疑論者」のように思えますが、じつは「私自身はラディカルズを支持する」と書いています。どうしてでしょう。