昨今のメディアでは、新しい内閣が発足する度に「呼び名」をつけるのが慣わしになっている。「○○内閣」「××内閣」というのがそれだ。

 評論家の宮崎哲弥氏は、安倍内閣を「お友だち内閣」と喝破した。福田首相は最初、自ら「背水の陣内閣」と呼んでいたが、改造内閣については「安心実現内閣」と称している。

 「○○内閣」と名付けることにどれほどの政治的な意味合いがあるかは不明だ。だが、政治の世界では、「選挙」や「人事」は、極めて重要な「お祭り」でもある。そう考えれば、盛り上がるのも頷ける。ならば、参加しないのも「無粋」ではないか。

 今回の福田改造内閣について、筆者は「脱コイズミ内閣」と命名した。

 ちなみに、安倍改造内閣では「麻生仮想内閣」、福田内閣では「古色蒼然内閣」と名付けた。しかし、まったくもって市民権を得なかった(笑)。

 ところが、「脱コイズミ内閣」はやや支持を得ているようで、その後、さまざまなメディアが使い始めている。別に、誰が先に名付けようとそれはどうでもいいことだ。だが、命名の背景にはそれなりの根拠が含まれている。今回はそれを紹介しながら、福田改造内閣の性格を分析してみようと思う。

郵政造反議員の復活と
「上げ潮派」の一掃

 内閣改造の前日(7月31日)、筆者は永田町にいた。改造の是非すらまだ決していない段階だ。取材先の自民党本部でも、政治記者たちが情報収集に精を出している。古賀誠選対委員長のインタビューを終えて、筆者も彼らの一群に加わった。

 夕刻、翌日の内閣改造が確定的になると、いくつかのメディアからのインタビュー取材の予約が入った。

 そのまま永田町に留まり、ANAインターコンチネンタルホテルに「基地」を構え、時計の針が24時を回る頃には、党役員や一部の閣僚人事などの情報が盛んに漏れ伝わってきた。この頃、いつもの「○○内閣」をそろそろ決めてくれないかという依頼も増えはじめる。

 改造人事の中には注目すべき政治家の名前があった。彼らの「氏名」を知った瞬間、福田内閣の目指す方向がはっきりとした。その上で、次の3つの理由を根拠として、改造直前、筆者は「脱コイズミ内閣」と命名し、産経新聞、週刊SPA、週刊朝日、フジテレビなどのインタビューに答えた。