一方、日本では1500兆円を超える個人金融資産の6割を60歳以上が保有している、という現実があります。若い人たちはお金を持っておらず、お金を持っているはずの高齢者には物欲がない。
そこで多くの企業は、どうするか。
価格競争です。生産拠点を海外に移すなどしてコストカットに努め、お金のない若者、物欲のない高齢者にも買ってもらえるようにする。
コストカットの先に待っているのは、雇用不安です。若い世代の雇用が不安に晒され、収入も伸び悩む。結果、若者はますます安いものを求めるようになり、出産はおろか結婚さえも控えるようになる。老後の安心がほしい高齢者は、ますます財布の紐を堅くする。いわゆるデフレスパイラルの完成です。
高齢者たちは百貨店やスーパーに出かける感覚で病院を訪ね、風邪薬や湿布をもらって帰ってくる。若者たちは格安のファストフード、ファストファッションの店に群がり、小さな欲望を、小さな金額で満たすようになっていく。
ここでわれわれが考えなければならないのは、少子高齢化とは「人類がこれまでの歴史で経験したことのない事態」だという事実です。たとえるなら、まだ治療法の確立されていない、あたらしい病。既存の薬や手術だけでは、どうやっても対処できるものではありません。
不況という現実を前に、中高年層は決まってこんな話をします。
「終戦後、日本はこうして復興を遂げた」
「世界恐慌のとき、アメリカはこうやって不況を脱した」
「高度成長期、われわれはこのやり方で経済大国にのし上がった」
「あのときのように頑張れば、日本は復活する」
ナンセンスとしかいいようのない話です。
かつての日本には、意欲的な働き手があふれ、意欲的な消費者にあふれていました。オイルショックのような偶発的事態があったときでも、団塊の世代を筆頭に、よく働きよく消費する、という経済活性化の土壌がありました。
また、自動車をつくり、エアコンや冷蔵庫をつくり、テレビをつくっていれば、みんながそれを買い、売った人も買った人もみんなが豊かになっていく土壌がありました。
しかし、もはや人口構成という社会の大前提が変わり、モノに対する需要も変化しているのですから、「過去の成功事例」を参考にすることはできません。いま、必要とされているのは、劇的な新薬であり、「あたらしい成功事例」なのです。
では、具体的にどこに答えを求めるのか?
私は、いまの日本で「あたらしい成功事例」をつくれるのは、医療産業しかないと確信しています。医療という「絶対ニーズ」は、むしろ少子高齢化した成熟社会の中でこそ、巨大産業としてのポテンシャルを発揮する。消費マインドが減退した成熟社会の中であっても、医療へのニーズだけは失われない。このような産業は他にないでしょう。
日本にとっての20世紀は、「製造業の世紀」でした。そして21世紀は、間違いなく「医療の世紀」になります。過去の常識は捨てましょう。少子高齢化の壁を突破する糸口は、ここにしかありません。